歴史小説
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食が英雄を成立させた。
不幸にも食わせる能力をうしなうとき、英雄もただの人になった
『項羽と劉邦』より。
青春の思い出といえば、
ふつう友人との間の思い出だから、図書館で友人もなく孤独でした。
いま、
自分の十代の間に何ごとかがプラスになったかも知れないということを考えてみると、
いくらか考えても図書館しかない。
学校は私にとって影響を与えてくれなかった感じです
大阪市立図書館報「図書館通信」(1971年12月)
インタビュー記事「図書館と歩んだ私の青春」
インタビュー記事「図書館と歩んだ私の青春」
井上ひさし談
資料を読んで読み尽くして、
その資料を読み尽くした
後に出たこう透明なしずくをね
一滴二滴しずくが
出てくるんですよね。
それを書くんだ
「知ってるつもり?! 司馬遼太郎」より。
親分――英雄――は流民に食を保障することによって成立し、
食を保障できない者は流民に殺されるか、身一つで逃亡せざるをえない
『項羽と劉邦』より。
私はどうも、日常人としては権力がきらいです。本当にきらいです
AERA Mook 62『司馬遼太郎がわかる。』(朝日新聞社,2000)P28
現代の人間と歴史上の人物は同じ血でつながっている
AERA Mook 65『日本史がわかる。』(朝日新聞社,2000)P141
津本陽
5
1929年生まれ。作家。
物事を利害で考えてゆこうという頭のはたらきは、じつに複雑な思慮や分析力を必要とするが、正邪のほうは判断も簡単で済み、しかもそれがことばであらわされるとき、短剣のような鋭さで相手に訴える。
「城塞」p401ページより抜粋
反省という行為
歴史を書くのに、国籍は無用だ。
塩野七生『人びとのかたち』(新潮社,1997)115p
推理小説で文学賞を受賞した
日本は不思議な国です。
一度賞を取れば、何にでもコメントを求められるし、
またその気になれば何にでも発言できるんです
AERA Mook 62『司馬遼太郎がわかる。』(朝日新聞社,2000)P38
技術・方法論・画論の完成度が高ければ高いほど、
派をなしたとたんに、その派は亡びにむかうほかない。
AERA Mook 62『司馬遼太郎がわかる。』(朝日新聞社,2000)P109
安野光雅
1
1926年生まれ。画家。
小説を書くうえで想像力は最も大切なものの一つだが、
もう一つとても重要になるのが「自分自身の実体験」である。
AERA Mook 65『日本史がわかる。』(朝日新聞社,2000)P139
津本陽
5
1929年生まれ。作家。
山折哲雄との対談にて。
宗教は人間を飼い慣らす装置である
「テーマ:宗教と日本人」(NHK,1995年6月)
完全に絶望するということは、もうそれ以上は落ちない「底」に着いたということ。
つまり、本当の絶望は、壁を乗り越えるための復活の始まりでもある
AERA Mook 65『日本史がわかる。』(朝日新聞社,2000)P139
津本陽
5
1929年生まれ。作家。
ガジュマルは見ていて楽しくなるような、少年が隠れんぼしたくなるような、大きさがある
司馬さんの小説はガジュマルみたいだ
AERA Mook 62『司馬遼太郎がわかる。』(朝日新聞社,2000)P157
妹尾河童
1
1930年(昭和5年)6月23日生まれ。兵庫県神戸市長田区生まれのグラフィックデ...
森浩一との中国旅行時、泉州で少し時間があった。
泉州の郊外に老公石象の名で呼ばれてりう老子の石像がある。
森はタクシーで見に行こうと司馬をさそった。
すると司馬はきっぱりと「僕は行かない」と言う。理由をきくと
泉州の郊外に老公石象の名で呼ばれてりう老子の石像がある。
森はタクシーで見に行こうと司馬をさそった。
すると司馬はきっぱりと「僕は行かない」と言う。理由をきくと
僕はそういう作られた物を見るのは嫌いなんです。
自分のなかにできている老子さんがこわれるのがいやなんです
何かを見たいというのが、私の創作の唯一の動機かもしれません
『波』(shinchosha.co.jp)誌上より。
塩野七生『イタリア遺聞』(新潮社,1994)238p
塩野七生『イタリア遺聞』(新潮社,1994)238p
人間は孤立しては棲めない生物でもある
‥‥‥孤立に堪えられなくなったとき、たとえ短時間でも激しく群れたがる
‥‥‥政治的正義という煌々ある電灯が頭にともると、激烈に群れる
‥‥‥ときに殺人という反社会的行為をおこなうことによって
小集団は激烈に群れを回復する。
『人間の集団について――ベトナムから考える』(中公文庫)より。
事実とは往々にして「事実らしからぬ」ほどのドラマ性をもっているものなのである。
AERA Mook 65『日本史がわかる。』(朝日新聞社,2000)P140
津本陽
5
1929年生まれ。作家。
第三十話 レオナルド、わが愛
万能の天才とは、書き手にとってまことに困る存在である。
塩野七生『イタリア遺聞』(新潮社,1994)243p
モノにしたいから
(中略)
惚れたものしか書かない私だが、同時に、モノにできると確信が持てるものしか書かない
(中略)
その人物をモノにするために書くという私の考え方からすれば、
彼(ダヴィンチ)を完全に理解し、それによって精神的にしても
彼の一生を追体験できるという自信がなければ、とうていできることではない。
塩野七生『イタリア遺聞』(新潮社,1994)238p,243p
わからないから興味を持ちつづけることもできる。全部わかったら嫌になるもの。
AERA Mook 62『司馬遼太郎がわかる。』(朝日新聞社,2000)P153
福田みどり
1
1929年生まれ。司馬遼太郎記念財団理事長。大阪府出身。旧姓は松見。
ほとんどの人は、
永く生きたようなつもりでいながら、じつは語るに足るほどの体験は数件ほどもない。
短編小説として搾りとれば三遍もできあがらない
『風塵抄』一九九〇年三月六日より。
つくづく考えてみるに、無能の国主、無能の家老、無能の領主とは乱世にあっては悪人だな。
『国盗り物語』より、主人公斎藤道三の養父長井利隆のセリフ。
ごほうびをもらってうれしいんですけど、小説というものは書生でないと書けない。
違う気分になるといけないので、明日からは忘れます。
文化勲章受章の記者会見(1993年10月22日)
歴史小説のリアリティを考えるうえで大切なこと
「事実らしく見えるもの」を書くのではなく、できるだけ「事実」そのままを描き出すことだ。
AERA Mook 65『日本史がわかる。』(朝日新聞社,2000)P140
津本陽
5
1929年生まれ。作家。