イタリア遺聞
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第三十話 レオナルド、わが愛
一生には、時に不可能なことがあるほうが人間的だと私は思っている。
そして、そういう不可能を、可能よりも私は大切に思う。
塩野七生『イタリア遺聞』(新潮社,1994)248p
第三十話 レオナルド、わが愛
解剖でも建築でも絵画についても、デッサンに付けられた解説を、第二人称単数を使って書いている
解剖でも建築でも絵画についても、デッサンに付けられた解説を、第二人称単数を使って書いている
キミは
塩野七生『イタリア遺聞』(新潮社,1994)248p
レオナルド・ダ・ヴィンチ
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イタリアのルネサンス期を代表する芸術家。フルネームはレオナルド・ディ・セル・ピエ...-ウィキペディア
第三十話 レオナルド、わが愛
万能の天才とは、書き手にとってまことに困る存在である。
塩野七生『イタリア遺聞』(新潮社,1994)243p
モノにしたいから
(中略)
惚れたものしか書かない私だが、同時に、モノにできると確信が持てるものしか書かない
(中略)
その人物をモノにするために書くという私の考え方からすれば、
彼(ダヴィンチ)を完全に理解し、それによって精神的にしても
彼の一生を追体験できるという自信がなければ、とうていできることではない。
塩野七生『イタリア遺聞』(新潮社,1994)238p,243p
何かを見たいというのが、私の創作の唯一の動機かもしれません
『波』(shinchosha.co.jp)誌上より。
塩野七生『イタリア遺聞』(新潮社,1994)238p
塩野七生『イタリア遺聞』(新潮社,1994)238p
第二十一話 容貌について
女というものは、男をおぼれさせようとあらゆる手練をつくすくせに、
おぼれるタイプの男には興味を持たないものなのである。
塩野七生『イタリア遺聞』(新潮社,1994)168p
第十七話 暦をめくれば‥‥‥
ミケランジェロのような気概があってこそ、あの華麗な花を咲かせられたのである。
ミケランジェロのような気概があってこそ、あの華麗な花を咲かせられたのである。
芸術家と思うことだけに寄りかかっている人々には、
水栽培の花ぐらいしか咲かせられない。
塩野七生『イタリア遺聞』(新潮社,1994)129p
第十八話 聖地巡礼
まじめ一方になった時、人類はしばしば血を流す羽目におちいる。
塩野七生『イタリア遺聞』(新潮社,1994)141p
第十八話 聖地巡礼
インテリの間でもてはやされている限り大流行にはならないこと、
聖地巡礼も、今日の本の売れ行きと同じである。
塩野七生『イタリア遺聞』(新潮社,1994)135p
第十六話 家探し騒動の巻
観光客というものは、なにか高いところがあるとすぐ登りたがるもの
塩野七生『イタリア遺聞』(新潮社,1994)122p
第十四話 語学について
商人と信用は、切ろうにも切り離せない関係にある。
塩野七生『イタリア遺聞』(新潮社,1994)110p
第十一話 葡萄酒の国
あまり(現実から)離れすぎるのははた迷惑でも、
ほんの少しも離れられないでは、酒を飲む意味などどこにあろう。
塩野七生『イタリア遺聞』(新潮社,1994)79p
第八話 スパルタの戦士
ギリシア軍の将校
ギリシア軍の将校
スパルタの戦士とは、国のためでもなく金のためでもなく、
ただ戦いのために闘う兵士のことなのだ
塩野七生『イタリア遺聞』(新潮社,1994)65p
第八話 スパルタの戦士
ギリシア軍の将校
ギリシア軍の将校
常日頃死なせないようにこちらが配慮しているから、
死んでくれと言った時は、彼らは死んでくれる
塩野七生『イタリア遺聞』(新潮社,1994)63p
第八話 スパルタの戦士
ギリシア軍の将校
ギリシア軍の将校
頭で色々考えるよりも、前進で信じてしまったほうが楽しい。
塩野七生『イタリア遺聞』(新潮社,1994)62p
第七話 オデュッセイア異聞
妻という存在は怖ろしいものですね。英雄をたちまち、タダの男にしてしまう。
塩野七生『イタリア遺聞』(新潮社,1994)57p
第七話 オデュッセイア異聞
考えてもみてください。
男というものは、大事業を仕とげた後、すぐにも家に帰りたくなるものだろうか。
興奮いまだ醒めやらず、だからちょっと寄り道して、という気になるのが、
ボクは男だと思う。
塩野七生『イタリア遺聞』(新潮社,1994)53p
第七話 オデュッセイア異聞
西洋版カモカのおっちゃん
西洋版カモカのおっちゃん
地中海世界では、賢いという形容詞のうえに悪という文字が付こうが、
それが賛辞であることにはなんら変りはない
塩野七生『イタリア遺聞』(新潮社,1994)52p