再び男たちへ

「第63章 無題」
『政略論』

結果さえ良ければ、手段は常に正当化される

塩野七生 『再び男たちへ』(文春文庫,1994)277p
ニッコロ・マキャヴェッリ 94

イタリア、ルネサンス期の政治思想家、フィレンツェ共和国の外交官。 著書に『君主...-ウィキペディア

「第63章 無題」
『政略論』

人間は、百パーセント善人であることもできず、
かといって百パーセント悪人であることもできない。
だからことしばしば中途半端なことをしてしまい、
破滅につながることになってしまうのである

塩野七生 『再び男たちへ』(文春文庫,1994)276p
ニッコロ・マキャヴェッリ 94

イタリア、ルネサンス期の政治思想家、フィレンツェ共和国の外交官。 著書に『君主...-ウィキペディア

優柔不断な国家は、
外からの圧力でもないかぎり、良き政策を打ち出せないようになっているのである

塩野七生 『再び男たちへ』(文春文庫,1994)275p
ニッコロ・マキャヴェッリ 94

イタリア、ルネサンス期の政治思想家、フィレンツェ共和国の外交官。 著書に『君主...-ウィキペディア

弱体な国家は、常に優柔不断である。
そして決断に手間どることは、これまた常に有害である。

塩野七生 『再び男たちへ』(文春文庫,1994)274p
ニッコロ・マキャヴェッリ 94

イタリア、ルネサンス期の政治思想家、フィレンツェ共和国の外交官。 著書に『君主...-ウィキペディア

「第63章 無題」
『手紙』
中立でいると、勝者にとって敵になるだけでなく、敗者にとっても、助けてくれなかったということで敵視されるのがオチなのだ

中立を保つことは、有効な選択とはいえない。

塩野七生 『再び男たちへ』(文春文庫,1994)274p
ニッコロ・マキャヴェッリ 94

イタリア、ルネサンス期の政治思想家、フィレンツェ共和国の外交官。 著書に『君主...-ウィキペディア

「第63章 無題」
『君主論』

他者を強力にする原因をつくる者は、自滅する。

塩野七生 『再び男たちへ』(文春文庫,1994)273p
ニッコロ・マキャヴェッリ 94

イタリア、ルネサンス期の政治思想家、フィレンツェ共和国の外交官。 著書に『君主...-ウィキペディア

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「第63章 無題」
『君主論』

良き力をもつ者は、良き友に恵まれるものである

塩野七生 『再び男たちへ』(文春文庫,1994)273p
ニッコロ・マキャヴェッリ 94

イタリア、ルネサンス期の政治思想家、フィレンツェ共和国の外交官。 著書に『君主...-ウィキペディア

「第63章 無題」
『君主論』

国家にとって、厳重のうえにも厳重に警戒しなければならないことは、
軽蔑されたり見くびられたりすることである

塩野七生 『再び男たちへ』(文春文庫,1994)272p
ニッコロ・マキャヴェッリ 94

イタリア、ルネサンス期の政治思想家、フィレンツェ共和国の外交官。 著書に『君主...-ウィキペディア

「第63章 無題」
『政略論』

次の二つのことは、絶対に軽視してはならない。
第一は、忍耐と寛容をもってしても、
人間の敵意は溶解するものではないということであり、
第二は、報酬や援助を与えても、
敵対関係を好転することまではできないということである

塩野七生 『再び男たちへ』(文春文庫,1994)272p
ニッコロ・マキャヴェッリ 94

イタリア、ルネサンス期の政治思想家、フィレンツェ共和国の外交官。 著書に『君主...-ウィキペディア

「第63章 無題」
『政略論』

ある者はより多くを獲得しようとし、他の者はもっているものを手放すまいとして、
争いが起こるのである

塩野七生 『再び男たちへ』(文春文庫,1994)272p
ニッコロ・マキャヴェッリ 94

イタリア、ルネサンス期の政治思想家、フィレンツェ共和国の外交官。 著書に『君主...-ウィキペディア

「第63章 無題」
『政略論』

人間は、恵まれていなければ悩み、恵まれていればいたで退屈する。
そしてこの性向からは、同じ結果が生ずるのだ

塩野七生 『再び男たちへ』(文春文庫,1994)271p
ニッコロ・マキャヴェッリ 94

イタリア、ルネサンス期の政治思想家、フィレンツェ共和国の外交官。 著書に『君主...-ウィキペディア

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「第63章 無題」
『手紙』

現実主義が誤りを犯すのは、相手も自分と同じように考え対処するであろうから、
バカなまねなどするはずはないと思いこんだときである

塩野七生 『再び男たちへ』(文春文庫,1994)271p
ニッコロ・マキャヴェッリ 94

イタリア、ルネサンス期の政治思想家、フィレンツェ共和国の外交官。 著書に『君主...-ウィキペディア

「第63章 無題」

湾岸戦争でわれられ日本人は、観客席にとどまるほうを選んだ。

塩野七生 『再び男たちへ』(文春文庫,1994)269p
塩野七生 701

日本の歴史作家(プロの学術研究者ではなく「小説家」)である。名前の「七生」は、7...-ウィキペディア

「第62章 善と悪」

自分と似ているものにしか興味を示さないのでは、
一度しかない人生、もったいないというものではありませんか。

塩野七生 『再び男たちへ』(文春文庫,1994)268p
塩野七生 701

日本の歴史作家(プロの学術研究者ではなく「小説家」)である。名前の「七生」は、7...-ウィキペディア

「第62章 善と悪」
塩野自身の言葉ではない

真に優れたリーダーは部下を選ばない

塩野七生 『再び男たちへ』(文春文庫,1994)268p
塩野七生 701

日本の歴史作家(プロの学術研究者ではなく「小説家」)である。名前の「七生」は、7...-ウィキペディア


    これは適材適所をうまく当てはめるから? それともどんな部下でもしっかり育てるから? - 銘無き石碑
「第62章 善と悪」

次の時代を創ることになるほどの大改革は、
誰の頭にでも浮かんでくるものではないのである。
それゆえに、英雄は常に孤独なのだ。
その彼を理解しないのは、敵ばかりではない。
味方の多くも理解していないのが普通である。

塩野七生 『再び男たちへ』(文春文庫,1994)267p
塩野七生 701

日本の歴史作家(プロの学術研究者ではなく「小説家」)である。名前の「七生」は、7...-ウィキペディア

「第61章 知識人」

知識も教養も万能ではない。
ただ残念なことに、もてばもつほど万能であると思うようになるのが、
タダの人のおちいりやすい傲慢ではあるのだが。

塩野七生 『再び男たちへ』(文春文庫,1994)264p
塩野七生 701

日本の歴史作家(プロの学術研究者ではなく「小説家」)である。名前の「七生」は、7...-ウィキペディア

「第61章 知識人」

「英雄偉人といえども、召使の眼から見ればタダの人」という言葉がある。
当り前だ。タダの人である召使から見るから、
タダの人でない人間までタダの人になってしまうのである。

塩野七生 『再び男たちへ』(文春文庫,1994)263p
塩野七生 701

日本の歴史作家(プロの学術研究者ではなく「小説家」)である。名前の「七生」は、7...-ウィキペディア

「第58章 帽子の愉しさ」

誰だって四十を越えれば、性格はいやでもはっきりしてくる。
今まで築きあげたその性格に、額ぶちをつけてあげたいとは思いませんか?

塩野七生 『再び男たちへ』(文春文庫,1994)252p
塩野七生 701

日本の歴史作家(プロの学術研究者ではなく「小説家」)である。名前の「七生」は、7...-ウィキペディア

「第58章 帽子の愉しさ」

帽子は顔に陰影を与える。
また、頭にのせるだけなのに、その人の性格をきわ立たせてくれる。

塩野七生 『再び男たちへ』(文春文庫,1994)249p
塩野七生 701

日本の歴史作家(プロの学術研究者ではなく「小説家」)である。名前の「七生」は、7...-ウィキペディア

「第51章 企業と文化(その一)」
簡単に定義すれば、

経済行為とはカネをもうけることであり、
政治的行為とはもうけたカネをうまく使うことであり、
文化的行為とは、うまくであろうが何であろうが、ただひたすらカネを使うことである

塩野七生 『再び男たちへ』(文春文庫,1994)219p
塩野七生 701

日本の歴史作家(プロの学術研究者ではなく「小説家」)である。名前の「七生」は、7...-ウィキペディア

「第39章 再びワールド・プロブレム」
関連名言 塩野七生 充分に‥(sekihi.net)

適度に物をもたせれば、人間は必ず保守化する

塩野七生 『再び男たちへ』(文春文庫,1994)172p
塩野七生 701

日本の歴史作家(プロの学術研究者ではなく「小説家」)である。名前の「七生」は、7...-ウィキペディア

「第39章 再びワールド・プロブレム」

中途半端は何もしなかったことと同じである。

塩野七生 『再び男たちへ』(文春文庫,1994)170p
塩野七生 701

日本の歴史作家(プロの学術研究者ではなく「小説家」)である。名前の「七生」は、7...-ウィキペディア

「第39章 再びワールド・プロブレム」

軍の指揮官にとって最も重要な資質は何かと問われれば、想像力であると答えよう

塩野七生 『再び男たちへ』(文春文庫,1994)168p
ニッコロ・マキャヴェッリ 94

イタリア、ルネサンス期の政治思想家、フィレンツェ共和国の外交官。 著書に『君主...-ウィキペディア

「第38章 軽蔑」

誰でも愛されたいと願う。
だが、めざましい成果をあげた場合、愛されるよりも憎まれるほうが多くなる。
なぜなら、人間は嫉妬するのが普通だからで、
憎まれることは能力を認められたことの証明でもあるのだ。
しかし、軽蔑は同列にはあつかえない。軽蔑は、能力を認めたうえでの評価ではない。
能力を認めないことによって生まれる評価である。
それゆえに、
憎まれることはあっても軽蔑されることだけは絶対に避けなけねばならない。
必ずや実害につながる。

塩野七生 『再び男たちへ』(文春文庫,1994)168p
塩野七生 701

日本の歴史作家(プロの学術研究者ではなく「小説家」)である。名前の「七生」は、7...-ウィキペディア