陽明学
悔は凶より機知に赴く道なり。
「語録」より
その好むところ見て、以てその人を知るべし。
「伝習録」より
子を養いて方に父の慈を知る
「伝習録」より
知の痛切にして誠実なるところが行であり、
行の明確にして精密なるところがほ知にかにならず
「伝習録」より
人生劈頭(へきとう)一個の事あり、立志是れなり。
「丙寅録」より
春日潜庵
2
江戸時代の儒学者
怠情のときは怠情を知らず
「丙寅録」より
春日潜庵
2
江戸時代の儒学者
家をおこすも子孫なり、家をやぶるも子孫なり。子孫に道をおしへずして、子孫の繁昌をもとむるは、あくなくて行くことをねがふにひとし
「翁問答」より
天地の大徳を生といふ、人之を受けて以て孝徳となす
「孝経啓蒙」より
このたから(真理)は天にありては、天の道となり、
地にありては、地のみちとなり、
人にありては、人の道となるものなり。
「翁問答」より
天地の間に、己一人生きてあると思ふべし。天を師とし、神明を友とすれば外人に頼る心なし
「翁問答」より
それ学問は心の汚れを清め、身の行いを良くするを以て本実とす。
「翁問答」より
胎内にある間も母徳の教化あり。
「翁問答」より
施して報いを願はず、受けて恩を忘れず。
「東里雑談」より
中根東里
2
江戸時代の儒学者
出る月を待つべし。散る花を追うことなかれ
「東里新談」より
中根東里
2
江戸時代の儒学者
一時に怯懦の心を発作して終身の恥辱を帯ぶる勿れ
「訓示」より
勉強忍耐は才力智徳の種子なり
「日記」より
よく自立する者は必ず骨あり、骨あれば行くべし立つべし。苟くも骨なければ、百の師友の支え導くとも如何ともし難し
「李氏焚書」より
李卓吾
1
中国清の陽明学者
友というものは、欠点を指摘したりするよりは、むしろ助けたり励ましたりすることに重点を置くべきだ。
友に対するに、相手に学ぶようにつきあえば成長が得られるが、
相手の上に立とうとするのは悪いことになるだけだ。
伝習録より
目そのものに実体はなく、万物万象の色が実体である。
耳そのものに実体はなく、万物万象の声音が実体である。
鼻そのものに実体はなく、万物万象の臭いが実体である。
口そのものに実体はなく、万物の味が実体である。
心そのものに実体はなく、
天地万物と感応して判断された是非が実体である。
伝習録より
反省は病を治す薬だが、大事なのは過ちを改めるということだ。
もし悔いにとらわれているだけなら、その薬が元で別の病がおこる。
後世必ず吾が心を知り、吾が志を憐み、吾が道を信ずる者あらんか
人はあらかじめ善悪の判断の中にあるのではなく、
心の本体は無善無悪。
その混沌からほとばしるものこそが真の善である
はかなくも 悟りいづこと 求めけん
誠の道は 我に具はる
心即理
心の本体は人心に宿る天神なり、この光明、人の意念にわたらず、
自然に是非を照らす、これを良知と言う。
三輪執斎
3
江戸前・中期の儒学者