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その好むところ見て、以てその人を知るべし。
「伝習録」より
子を養いて方に父の慈を知る
「伝習録」より
知の痛切にして誠実なるところが行であり、
行の明確にして精密なるところがほ知にかにならず
「伝習録」より
友というものは、欠点を指摘したりするよりは、むしろ助けたり励ましたりすることに重点を置くべきだ。
友に対するに、相手に学ぶようにつきあえば成長が得られるが、
相手の上に立とうとするのは悪いことになるだけだ。
伝習録より
目そのものに実体はなく、万物万象の色が実体である。
耳そのものに実体はなく、万物万象の声音が実体である。
鼻そのものに実体はなく、万物万象の臭いが実体である。
口そのものに実体はなく、万物の味が実体である。
心そのものに実体はなく、
天地万物と感応して判断された是非が実体である。
伝習録より
反省は病を治す薬だが、大事なのは過ちを改めるということだ。
もし悔いにとらわれているだけなら、その薬が元で別の病がおこる。
人はあらかじめ善悪の判断の中にあるのではなく、
心の本体は無善無悪。
その混沌からほとばしるものこそが真の善である
私の場合、最も重要な点はただ日に減らすことを求めるにあり、
日に増やすのを求めることにあるのではない。
一分でも人欲が減らせたら、
それはその一分だけ天理を回復できたということで、
なんと軽快で簡単なことではあるまいか。
険夷もと胸中に滞らず
何ぞ異ならん浮雲の大空を過ぐるに
夜は静かなり海涛三万里
月明錫を飛ばして天風を下る
古今の聖賢のあらゆる議論の端々に至るまで
全て、思いに邪なし、の一言で要約できる。
これ以上、何を言うことがあろう。
これこそ、一を知って百に通じる功夫なのだ
和の実現
善無く悪無きは是れ心の体なり、善有り悪有るは是れ意の動なり、
善を知り悪を知るは是れ良知なり、善を為し悪を去るは是れ格物なり
陽明学の基本理念の一つ「無善無悪」について語った言葉。