陽明学

このたから(真理)は天にありては、天の道となり、
地にありては、地のみちとなり、
人にありては、人の道となるものなり。

「翁問答」より
中江藤樹 8

近江国(滋賀県)出身の江戸時代初期の陽明学者。近江聖人と称えられた。諱は原(はじ...-ウィキペディア

その好むところ見て、以てその人を知るべし。

「伝習録」より
王陽明 13

中国の明代の儒学者、思想家、高級官僚、武将。思想家として朱子学を批判的に継承し、...-ウィキペディア

それ学問は心の汚れを清め、身の行いを良くするを以て本実とす。

「翁問答」より
中江藤樹 8

近江国(滋賀県)出身の江戸時代初期の陽明学者。近江聖人と称えられた。諱は原(はじ...-ウィキペディア

はかなくも 悟りいづこと 求めけん
誠の道は 我に具はる 

心即理
中江藤樹 8

近江国(滋賀県)出身の江戸時代初期の陽明学者。近江聖人と称えられた。諱は原(はじ...-ウィキペディア

よく自立する者は必ず骨あり、骨あれば行くべし立つべし。苟くも骨なければ、百の師友の支え導くとも如何ともし難し

「李氏焚書」より
李卓吾 1

中国清の陽明学者

一時に怯懦の心を発作して終身の恥辱を帯ぶる勿れ

「訓示」より
乃木希典 2

日本の武士(長府藩士)、軍人、教育者。日露戦争における旅順攻囲戦の指揮や、明治天...-ウィキペディア

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人はあらかじめ善悪の判断の中にあるのではなく、
心の本体は無善無悪。
その混沌からほとばしるものこそが真の善である
 

王陽明 13

中国の明代の儒学者、思想家、高級官僚、武将。思想家として朱子学を批判的に継承し、...-ウィキペディア

人生劈頭(へきとう)一個の事あり、立志是れなり。

「丙寅録」より
春日潜庵 2

江戸時代の儒学者

出る月を待つべし。散る花を追うことなかれ

「東里新談」より
中根東里 2

江戸時代の儒学者

勉強忍耐は才力智徳の種子なり

「日記」より
乃木希典 2

日本の武士(長府藩士)、軍人、教育者。日露戦争における旅順攻囲戦の指揮や、明治天...-ウィキペディア


    東郷平八郎 - 銘無き石碑

友というものは、欠点を指摘したりするよりは、むしろ助けたり励ましたりすることに重点を置くべきだ。

王陽明 13

中国の明代の儒学者、思想家、高級官僚、武将。思想家として朱子学を批判的に継承し、...-ウィキペディア

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友に対するに、相手に学ぶようにつきあえば成長が得られるが、
相手の上に立とうとするのは悪いことになるだけだ。

伝習録より
王陽明 13

中国の明代の儒学者、思想家、高級官僚、武将。思想家として朱子学を批判的に継承し、...-ウィキペディア


    成るほど、確かにね - 銘無き石碑

反省は病を治す薬だが、大事なのは過ちを改めるということだ。
もし悔いにとらわれているだけなら、その薬が元で別の病がおこる。

王陽明 13

中国の明代の儒学者、思想家、高級官僚、武将。思想家として朱子学を批判的に継承し、...-ウィキペディア


    薬で水を飲みたかたりトイレにいかされたけど大切事をしたら楽になた   - k

古今の聖賢のあらゆる議論の端々に至るまで
全て、思いに邪なし、の一言で要約できる。
これ以上、何を言うことがあろう。
これこそ、一を知って百に通じる功夫なのだ

和の実現
王陽明 13

中国の明代の儒学者、思想家、高級官僚、武将。思想家として朱子学を批判的に継承し、...-ウィキペディア

善無く悪無きは是れ心の体なり、善有り悪有るは是れ意の動なり、
善を知り悪を知るは是れ良知なり、善を為し悪を去るは是れ格物なり

陽明学の基本理念の一つ「無善無悪」について語った言葉。
王陽明 13

中国の明代の儒学者、思想家、高級官僚、武将。思想家として朱子学を批判的に継承し、...-ウィキペディア

天地の大徳を生といふ、人之を受けて以て孝徳となす

「孝経啓蒙」より
中江藤樹 8

近江国(滋賀県)出身の江戸時代初期の陽明学者。近江聖人と称えられた。諱は原(はじ...-ウィキペディア

天地の間に、己一人生きてあると思ふべし。天を師とし、神明を友とすれば外人に頼る心なし

「翁問答」より
中江藤樹 8

近江国(滋賀県)出身の江戸時代初期の陽明学者。近江聖人と称えられた。諱は原(はじ...-ウィキペディア

子を養いて方に父の慈を知る

「伝習録」より
王陽明 13

中国の明代の儒学者、思想家、高級官僚、武将。思想家として朱子学を批判的に継承し、...-ウィキペディア

家をおこすも子孫なり、家をやぶるも子孫なり。子孫に道をおしへずして、子孫の繁昌をもとむるは、あくなくて行くことをねがふにひとし

「翁問答」より
中江藤樹 8

近江国(滋賀県)出身の江戸時代初期の陽明学者。近江聖人と称えられた。諱は原(はじ...-ウィキペディア

後世必ず吾が心を知り、吾が志を憐み、吾が道を信ずる者あらんか

橋本左内 2

江戸時代末期(幕末)の志士、思想家、越前国福井藩藩士。号は景岳。諱は綱紀。著書に...-ウィキペディア

心の本体は人心に宿る天神なり、この光明、人の意念にわたらず、
自然に是非を照らす、これを良知と言う。

三輪執斎 3

江戸前・中期の儒学者

心の本体は即ち人心に宿れる天神なり、
これ光明、人の意念に渡らず、自然に是非を照らす、
是れを良知という。

三輪執斎 3

江戸前・中期の儒学者

怠情のときは怠情を知らず

「丙寅録」より
春日潜庵 2

江戸時代の儒学者

悔は凶より機知に赴く道なり。

「語録」より
中江藤樹 8

近江国(滋賀県)出身の江戸時代初期の陽明学者。近江聖人と称えられた。諱は原(はじ...-ウィキペディア

施して報いを願はず、受けて恩を忘れず。

「東里雑談」より
中根東里 2

江戸時代の儒学者