名言・語録一覧

『君主論』より

君主(指導者)たらんとする者は、種々の良き性質をすべてもち合わせる必要はない。
しかし、もち合わせていると、人々に思わせることは必要である。
いや、はっきり言うと、実際に持ち合わせていては有害なので、
もち合わせていると思わせるほうが有益なのである。

塩野七生 『マキアヴェッリ語録』(新潮文庫,1992)67p
ニッコロ・マキャヴェッリ 94

イタリア、ルネサンス期の政治思想家、フィレンツェ共和国の外交官。 著書に『君主...-ウィキペディア

個人の間では、法律や契約書や協定が、信義を守るのに役立つ。
しかし権力者の間で信義が守られるのは、力によってのみである。

塩野七生 『マキアヴェッリ語録』(新潮文庫,1992)64p
ニッコロ・マキャヴェッリ 94

イタリア、ルネサンス期の政治思想家、フィレンツェ共和国の外交官。 著書に『君主...-ウィキペディア

レパントの海戦は、
まずはじめに、血を流さない戦争があり、
次いで、血を流す政治とつづき、
最後に再び、血を流さない戦争になって終わった

塩野七生 『レパントの海戦』(新潮文庫,1991)14p
レパントの海戦 3

1991年6月25日発行。

人は、真実を見抜く眼をもっていないのではない。ただ往々にして、
真実であってほしいと思っていることを、真実と見てしまうものなのである。

塩野七生 『レパントの海戦』(新潮文庫,1991)40p
レパントの海戦 3

1991年6月25日発行。

マーカントニオ・バルバロの言葉

トルコとの外交交渉は、ガラス張りの玉を投げあう遊戯に似ています。
ただし、向うが強く投げてきても、こちらは強く投げ返すことはできず、
かといって、玉を下に落としてすむものでもありません

塩野七生 『レパントの海戦』(新潮文庫,1991)30p
レパントの海戦 3

1991年6月25日発行。

歴史はまず何よりも物語でなければならない。

塩野七生 『ロードス島攻防記』(新潮文庫,1991)246p
ロードス島攻防記 4

1991年5月25日発行。

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官能的な女は、権力をもつ男を愛するものである。

塩野七生 『ロードス島攻防記』(新潮文庫,1991)238p
ロードス島攻防記 4

1991年5月25日発行。

オルシーニの言葉

人間には誰にも、自らの死を犬死と思わないで死ぬ権利がある。
そして、そう思わせるのは、上にある者の義務でもある

塩野七生 『ロードス島攻防記』(新潮文庫,1991)116p
ロードス島攻防記 4

1991年5月25日発行。

宗教とつけばなぜかカネの集まりやすいことは、
古今東西を通じて実証されてきた事実である。

塩野七生 『ロードス島攻防記』(新潮文庫,1991)31p
ロードス島攻防記 4

1991年5月25日発行。

皇帝の言葉

あなた方西欧人は、
自分の国でもないこの都を守るために、日夜心をくだいてくれている。
しかし、わたしに、この民を見捨てていくなどということが、どうしたらできるだろうか。
いや、皆さん、わたしにはできません。彼らとともにこの都とともに、死ぬほうを選びます

塩野七生 『コンスタンティノープルの陥落』(新潮文庫,1991)173p
ジェノヴァ人の言葉

二百年もの間に築きあげたわれわれの富、われわれの町、われわれの息子たちを
捨てることなど、絶対にできない。居留区はわれわれにとって、生まれ育った場所なのだ。
それを捨てるくらいなら、最後の血の一滴まで戦いぬくだろう

塩野七生 『コンスタンティノープルの陥落』(新潮文庫,1991)172p
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マホメッド二世(トルコの若き王)の言葉

あの街をください

塩野七生 『コンスタンティノープルの陥落』(新潮文庫,1991)70p
ニコロの言葉

病院というところはどこでも、なぜこうも騒々しいのだろう

塩野七生 『コンスタンティノープルの陥落』(新潮文庫,1991)27p

大事なのは体力があるとか、運動能力が高いということではなく、
どれだけ長もちするかということなのです。

塩野七生 『ローマから日本が見える』(集英社文庫,2008)390p
塩野七生 701

日本の歴史作家(プロの学術研究者ではなく「小説家」)である。名前の「七生」は、7...-ウィキペディア

身の安全を心配しながら生きていたのでは、生きた気がしない。

塩野七生 『ローマから日本が見える』(集英社文庫,2008)271p
ガイウス・ユリウス・カエサル 25

共和政ローマ期の政治家、軍人であり、文筆家。「賽は投げられた」(alea iac...-ウィキペディア

ルキウス・コルネリウス・スッラなら平然と言うであろう言葉

素手でどうやって共和政を守れるというのだね

塩野七生 『ローマから日本が見える』(集英社文庫,2008)236p
塩野七生 701

日本の歴史作家(プロの学術研究者ではなく「小説家」)である。名前の「七生」は、7...-ウィキペディア

ルキウス・コルネリウス・スッラなら平然と言うであろう言葉

素手でどうやって共和政を守れるというのだね

塩野七生 『ローマから日本が見える』(集英社文庫,2008)236p
塩野七生 701

日本の歴史作家(プロの学術研究者ではなく「小説家」)である。名前の「七生」は、7...-ウィキペディア

リーダーの存在しない、全員が平等な社会とは、
結局のところ、誰も責任を負わない無責任社会になってしまう

塩野七生 『ローマから日本が見える』(集英社文庫,2008)82p
塩野七生 701

日本の歴史作家(プロの学術研究者ではなく「小説家」)である。名前の「七生」は、7...-ウィキペディア

人間はありとあらゆる統治形態を考え出したが、
支配階級の存在しない統治形態だけは考え出せなかった

塩野七生 『ローマから日本が見える』(集英社文庫,2008)82p
ヴィルフレド・パレート 1

1848年7月15日 - 1923年8月19日 イタリアの技師、経済学者、社会...


    たしかに。 - 銘無き石碑

カエサルという男は自分が置かれた現実からけっして目をそらさず、
それでいて現実の重みに潰されることのない人間でした。

塩野七生 『ローマから日本が見える』(集英社文庫,2008)41p
塩野七生 701

日本の歴史作家(プロの学術研究者ではなく「小説家」)である。名前の「七生」は、7...-ウィキペディア

勝者はけっして最初から勝者であったのではない。
無数の敗北や失敗を乗り越えてきたからこそ、彼らは勝ち残れた

塩野七生 『ローマから日本が見える』(集英社文庫,2008)33p
塩野七生 701

日本の歴史作家(プロの学術研究者ではなく「小説家」)である。名前の「七生」は、7...-ウィキペディア

混迷は敗北の後にやってくるだけではなく、
勝利の後にも訪れるということを示しているのが、他ならぬローマの歴史です。

塩野七生 『ローマから日本が見える』(集英社文庫,2008)33p
塩野七生 701

日本の歴史作家(プロの学術研究者ではなく「小説家」)である。名前の「七生」は、7...-ウィキペディア

私がローマ人に興味を抱くのは、彼らが人間性に対する幻想を抱かず、
ということは、自分自身に対する幻想を抱くことなく行動していたから

塩野七生 『ローマから日本が見える』(集英社文庫,2008)26p
塩野七生 701

日本の歴史作家(プロの学術研究者ではなく「小説家」)である。名前の「七生」は、7...-ウィキペディア

古代ローマの歴史なんてせいぜい数時間分の授業でしか教えられたことのない日本人に向けて書かなければならないのか。

歴史ほど面白いものはないから

塩野七生 『ローマから日本が見える』(集英社文庫,2008)16p
塩野七生 701

日本の歴史作家(プロの学術研究者ではなく「小説家」)である。名前の「七生」は、7...-ウィキペディア

どうして今から1500年以上も前に滅びたローマの歴史なのか

ローマ人くらい面白い人たち、素敵な人たちはいなかったから

塩野七生 『ローマから日本が見える』(集英社文庫,2008)18p
塩野七生 701

日本の歴史作家(プロの学術研究者ではなく「小説家」)である。名前の「七生」は、7...-ウィキペディア