マキァヴェリ
天国は退屈な人間しかいない
イタリア、ルネサンス期の政治思想家、フィレンツェ共和国の外交官。 著書に『君主...-ウィキペディア
人の一生は、なにもかもやるには短すぎます。
イタリー人にとっては自分が法律なのさ
1992年11月25日発行。
天国へ行くのに最も有効な方法は、地獄へ行く道を熟知することである。
イタリア、ルネサンス期の政治思想家、フィレンツェ共和国の外交官。 著書に『君主...-ウィキペディア
良い面を残そうとすれば、どうしたって悪い面も同時に残さざるをえないのである。
イタリア、ルネサンス期の政治思想家、フィレンツェ共和国の外交官。 著書に『君主...-ウィキペディア
誰だって、誤りを犯したいと望んで、誤りを犯すわけではない。
ただ、晴天の日に、翌日は雨が降るとは考えないだけである。
イタリア、ルネサンス期の政治思想家、フィレンツェ共和国の外交官。 著書に『君主...-ウィキペディア
中ぐらいの勝利で満足する者は、常に勝者でありつづけるだろう。
イタリア、ルネサンス期の政治思想家、フィレンツェ共和国の外交官。 著書に『君主...-ウィキペディア
まったくもって情けない現実だが、
人間というものは権力をもてばもつほどそれを下手にしか使えないものであり、
そのことによって、ますます耐えがたい存在と化すものである。
イタリア、ルネサンス期の政治思想家、フィレンツェ共和国の外交官。 著書に『君主...-ウィキペディア
ある人物を評価するに際して最も簡単で確実な方法は、
その人物がどのような人々とつきあっているかを見ることである。
イタリア、ルネサンス期の政治思想家、フィレンツェ共和国の外交官。 著書に『君主...-ウィキペディア
人間というものは、現にもっているものに加え、
さらに新たに得られるという保証がないと、
現にもっているものすら、保有しているという気分になれないものである。
イタリア、ルネサンス期の政治思想家、フィレンツェ共和国の外交官。 著書に『君主...-ウィキペディア
人間というものは、必要に迫られなければ善を行わないようにできている。
イタリア、ルネサンス期の政治思想家、フィレンツェ共和国の外交官。 著書に『君主...-ウィキペディア
はじめはわが身を守ることだけ考えていた人も、それが達成されるや、
今度は他者を攻めることを考えるようになる。
イタリア、ルネサンス期の政治思想家、フィレンツェ共和国の外交官。 著書に『君主...-ウィキペディア
人間というものは、困難が少しでも予想される事業には、常に反対するものである。
イタリア、ルネサンス期の政治思想家、フィレンツェ共和国の外交官。 著書に『君主...-ウィキペディア
人間は、百パーセント善人であることもできず、
かといって百パーセント悪人であることもできない。
だからこそしばしば中途半端なことをしてしまい、破滅につながることになるのだ。
イタリア、ルネサンス期の政治思想家、フィレンツェ共和国の外交官。 著書に『君主...-ウィキペディア
人間とは、その本性からして、
恩恵をほどこされた場合と同様に、恩恵をほどこす場合にも義理を感ずるものである。
イタリア、ルネサンス期の政治思想家、フィレンツェ共和国の外交官。 著書に『君主...-ウィキペディア
人間というものは、
一つの野心が達成されてもすぐ次の野心の達成を願うようにできている。
イタリア、ルネサンス期の政治思想家、フィレンツェ共和国の外交官。 著書に『君主...-ウィキペディア
議題がなんであれ、会議というものに列席したことのある人ならば、なんと人間は誤った判断をくだすものかという想いを一度ならずもったにちがいない。
イタリア、ルネサンス期の政治思想家、フィレンツェ共和国の外交官。 著書に『君主...-ウィキペディア
民衆とは、キケロも言ったように、無知ではあるけれども真実を見ぬく能力はもっている
イタリア、ルネサンス期の政治思想家、フィレンツェ共和国の外交官。 著書に『君主...-ウィキペディア
人間はなぜか、同じような情熱に駆られるものであり、結果もまた同じように終るものだ
イタリア、ルネサンス期の政治思想家、フィレンツェ共和国の外交官。 著書に『君主...-ウィキペディア
好機というものは、すぐさま捕えないと、逃げ去ってしまうものである。
イタリア、ルネサンス期の政治思想家、フィレンツェ共和国の外交官。 著書に『君主...-ウィキペディア
人間の行う行為を見れば、
いかに完璧を期そうとも、必ずなにか不都合なことを引きずっているものである。
イタリア、ルネサンス期の政治思想家、フィレンツェ共和国の外交官。 著書に『君主...-ウィキペディア
ローマ人は、負けたときにもくじけず、勝ったときにもオゴらない
イタリア、ルネサンス期の政治思想家、フィレンツェ共和国の外交官。 著書に『君主...-ウィキペディア
運は、制度を変える勇気をもたない者には、その裁定を変えようとはしないし、
天も自ら破滅したいと思う者は、助けようとはしないし、助けられるものでもないのである
イタリア、ルネサンス期の政治思想家、フィレンツェ共和国の外交官。 著書に『君主...-ウィキペディア
人間は、運命に乗ることはできても逆らうことはできない
イタリア、ルネサンス期の政治思想家、フィレンツェ共和国の外交官。 著書に『君主...-ウィキペディア
慎重であるよりは、果敢であるほうがよいと、断言する。
なぜなら、運命の神は女神なのだから、
彼女に対して主導権を得ようと思うなら、乱暴にあつかうことが必要なのだ。
運命は、冷たいほど冷静に対してくる者よりも、
征服したいという欲望を露わにしてくる者のほうに、なびくようである。
要するに、運命は女に似て若者の友である。若者は、思慮に富んでいないがために
後々のことなど考えず、より激しく、より大胆に、女を支配するからである。
イタリア、ルネサンス期の政治思想家、フィレンツェ共和国の外交官。 著書に『君主...-ウィキペディア