名言・語録一覧

自分は有用の材なりとの自信ほど、
彼に有益なるものはあるまい。

アンドリュー・カーネギー 24

スコットランド生まれのアメリカの実業家。崩れ行く橋を見て着想を得てカーネギー鉄鋼...-ウィキペディア

自分の弱点を知るは、
損失をつぐなう第一歩。

トマス・ア・ケンピス 4

中世の神秘思想家。彼の著した信心書『キリストに倣いて』(イミタツィオ・クリスティ...

利己心はすべての過失と不幸の源泉である。

トーマス・カーライル 52

19世紀イギリス(大英帝国)の歴史家・評論家で、スコットランド出身。 スコット...-ウィキペディア

眼を閉じよ。
そしたらお前は見えるだろう。

サミュエル・バトラー 18

イギリスの小説家。 ノッティンガムシャー、ランガー・レクトリー (Langar...-ウィキペディア

自主的であるといふことは排他的であるといふことでなく、他のものと廣く交渉しながら自分を失はず、進取的に他の長所を取り入れて自分を大きく伸ばしてゆくといふ態度のうちに眞の自主性が認められるのである。他を排斥して自分にのみ籠るといふのは、自分に対する信頼がないといふことである。

出典:「自主的思考の反省」(三木清全集第14巻)
三木清 62

(西田左派を含めた上での)京都学派の哲学者。弟に中国文学者の三木克己がいる。.....-ウィキペディア

いいかげんに「入試イコール基礎能力判定の試験」といった権威付けはやめて、
各大学が文系も含めて「入るのは簡単だが出るのは難しい」という制度に改め、
その上で「ちゃんと卒業できそうな人材を選別する合理的な入試」へと
シフトすべきだと思います。
大学の国際競争力ということから考えると、もう余り時間は残っていません。
昨年あたりから東大が高校生向けの説明会を始めましたが、
合格者の海外流出を懸念する危機感は良いのですが、
本当に危機感を持っているのなら
入試と学部教育の改革スピードを上げるべきだと思います。

冷泉彰彦 7

アメリカ合衆国の教員、作家、 翻訳家、鉄道評論家。東京大学文学部卒業。コロンビア...-ウィキペディア

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すべての理念的なものは運命的なものを通じて実現される。個人の任務は民族を通じ民族のうちにおいて世界的なものを実現することである。個人は自己の民族を世界的意義あるものに高めねばならず、そのためには個人はどこまでも自主的に民族と結び付くことが必要である、個人が自発的でないところでは人類的価値を有する文化は作られないから。

出典:「全体と個人」(三木清全集第14巻)
三木清 62

(西田左派を含めた上での)京都学派の哲学者。弟に中国文学者の三木克己がいる。.....-ウィキペディア

世の中に孤立した物は何ひとつない、すべての物は関係に立つている。しかるに独善家の陥り易い危険は、孤立的であることが自主的であるかのやうに考へることである。自主的外交といつても、孤立的外交のことではなからう。自己を世界のうちにおいて見、その中における独自の立場に立脚して、他との関係を定めてゆくのが自主的外交でなければならぬ。

出典:「自主的思考の反省」(三木清全集第14巻)
三木清 62

(西田左派を含めた上での)京都学派の哲学者。弟に中国文学者の三木克己がいる。.....-ウィキペディア

どんな面においても妥協はしたくないわ。
私は自分のために音楽を作っているし、それが私にとって大事なことだから。

アヴリル・ラヴィーン 42

カナダ・オンタリオ州ベルビルの出身のシンガーソングライター。アメリカ合衆国に拠点...-ウィキペディア

私はソングライターで、いつも作曲のプロセスに関わっているし、
私のアルバムは、私の人生なの。

アヴリル・ラヴィーン 42

カナダ・オンタリオ州ベルビルの出身のシンガーソングライター。アメリカ合衆国に拠点...-ウィキペディア

20年かけて脱原発

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個人は抽象的な人類や世界ではなく却つて民族といふが如き具体的な全体と結びついて具体的な存在であるのである。個人は民族を媒介するのでなければ具体的に人類的或ひは世界的になることができない。単に人類的と考へられるやな個人は抽象的なものに過ぎぬ。単なる世界人は根差しなきものである。

出典:「全体と個人」(三木清全集第14巻)
三木清 62

(西田左派を含めた上での)京都学派の哲学者。弟に中国文学者の三木克己がいる。.....-ウィキペディア

たいせつなのは宝石に見せかけることではなくて、
宝石になる努力を惜しまないことだ。

渡辺和子 131

学校法人ノートルダム清心学園の理事長。北海道旭川市生まれ。二・二六事件で青年将校...

人間だからすぐ、イコール尊いと言えるかどうか。
ほんとうに尊厳に値する人間にならなければならないのではないでしょうか。

渡辺和子 131

学校法人ノートルダム清心学園の理事長。北海道旭川市生まれ。二・二六事件で青年将校...

多少とも権力を有する地位にある者に最も必要な徳は、阿る者と純眞な人間とをひとめで識別する力である。これは小さいことではない。もし彼がこの徳をもつているなら、彼はあらゆる他の徳をもつていると認めても宜いであらう。

出典:「偽善について」(人生論ノート)
三木清 62

(西田左派を含めた上での)京都学派の哲学者。弟に中国文学者の三木克己がいる。.....-ウィキペディア

期待は他人の行為を拘束する魔術的な力をもつている。我々の行為は絶えずその呪縛のもとにある。道徳の拘束力もそこに基礎をもつている。他人の期待に反して行為するといふことは考へられるよりも遥かに困難である。時には人々の期待に全く反して行動する勇気をもたねばならぬ。世間が期待する通りにならうとする人は遂に自分を発見しないでしまふことが多い。秀才と呼ばれた者が平凡な人間で終るのはその一つの例である。

出典:「利己主義について」(人生論ノート)
三木清 62

(西田左派を含めた上での)京都学派の哲学者。弟に中国文学者の三木克己がいる。.....-ウィキペディア

どのやうな利己主義者も自己の特殊的な利益を一般的な利益として主張する。ーーーそこから如何に多くの理論が作られているか。ーーーこれに反して愛と宗教においては、ひとは却つて端的に自己を主張する。それらは理論を軽蔑するのである。

出典:「利己主義について」(人生論ノート)
三木清 62

(西田左派を含めた上での)京都学派の哲学者。弟に中国文学者の三木克己がいる。.....-ウィキペディア

利己主義者が非情に思はれるのは、彼に愛情とか同情とかがないためであるよりも、彼に想像力がないためである。そのやうに想像力は人生にとつて根本的なものである。人間は理性によつてといふよりも想像力によつて動物から区別される。愛情ですら、想像力なくして何物であるか。愛情は想像力によつて量られる。

出典:「利己主義について」(人生論ノート)
三木清 62

(西田左派を含めた上での)京都学派の哲学者。弟に中国文学者の三木克己がいる。.....-ウィキペディア

成功と幸福とを、不成功と不幸とを同一視するやうになつて以来、人間は眞の幸福が何であるかを理解し得なくなつた。自分の不幸を不成功として考へている人間こそ、まことに憐れむべきである。

出典:「成功について」(人生論ノート)
三木清 62

(西田左派を含めた上での)京都学派の哲学者。弟に中国文学者の三木克己がいる。.....-ウィキペディア

他人の幸福を嫉妬する者は、幸福を成功と同じに見ている場合が多い。幸福は各人のもの、人格的な、性質的なものであるが、成功は一般的なもの、量的に考へられ得るものである。だから成功は、その本性上、他人の嫉妬を伴ひ易い。

出典:「成功について」(人生論ノート)
三木清 62

(西田左派を含めた上での)京都学派の哲学者。弟に中国文学者の三木克己がいる。.....-ウィキペディア

美しく最後を飾り付ける暇があるなら、最後まで美しく生きようじゃねーか

坂田銀時 28

空知英秋作の漫画『銀魂』に登場する架空の人物であり、同作品の主人公。アニメ版の声...-ウィキペディア

人はなぜ嫌われるか悩む人もいる

私はあなたであり
あなたは私である

人を嫌えば嫌われる
人を愛せば愛される
中西如水 15

気儘の閑人

個性を理解しようと欲する者は無限のこころをしらねばならぬ。無限のこころを知らうと思ふ者は愛のこころを知らねばならない。愛とは創造であり、創造とは対象に於て自己を見出すことである。愛する者は自己において自己を否定して対象において自己を生かすのである。

出典:「個性について」(人生論ノート)
三木清 62

(西田左派を含めた上での)京都学派の哲学者。弟に中国文学者の三木克己がいる。.....-ウィキペディア

自己を知ることはやがて他人を知ることである。私達が私達の魂がみづから達した高さに應じて、私達の周囲に次第に多くの個性を発見してゆく。自己に対して盲目な人の見る世界はただ一様の灰色である。自己の魂をまたたきせざる眼をもつて凝視し得た人の前には、一切のものが光と色との美しい交錯において拡げられる。

出典:「個性について」(人生論ノート)
三木清 62

(西田左派を含めた上での)京都学派の哲学者。弟に中国文学者の三木克己がいる。.....-ウィキペディア

眞に旅を味ひ得る人は眞に自由な人である。旅することによつて、賢い者はますます賢くなり、愚かな者はますます愚かになる。日常交際している者が如何なる人間であるかは、一緒に旅してみるとよく分るものである。人はその人それぞれの旅をする。旅において眞に自由な人は人生において眞に自由な人である。人生そのものが実に旅なのである。

出典:「旅について」(人生論ノート)
三木清 62

(西田左派を含めた上での)京都学派の哲学者。弟に中国文学者の三木克己がいる。.....-ウィキペディア