萩原朔太郎 20

1886年11月1日 - 1942年5月11日
日本の詩人。大正時代に近代詩の新しい地平を拓き「日本近代詩の父」と称される。...-ウィキペディア

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自殺の霊魂は不死である、但し地獄に於いて

「虚妄の正義」より

雑婚から一夫一妻制度へ、一夫一妻から多夫多妻制度へ、
時代はかく必然に推移していく

「虚妄の正義」より

    木の花ファミリー(富士宮市)に行きました♪
    みどりの日の4月29日 <木の花ファミリー>に家族と友だちと行ってきました 創立時は20名だったのが 今は男10人と女31名が共同体で暮らしています
    循環型農業で 食べるもののほとんどが自給自足だそうです。
    ここの住人は 過去も年齢も未婚か既婚も問わない縛りのない自由なところでした
    仕事も色々あり 田畑を耕し人 加工品を作る人 子育て係 食事係 案内係 IT係 広報係り 勉強する人 遊んでいる人と ことごとく自由だそうです  収入は大人で均等割り
    <多夫多妻 縛りのない、おおらかなの縄文時代>にすっかり憧れる僕としては理想郷をここに見つけた感ありでした♪子供も八人すくすく育っていました 生んだ生まないにも関わらず 皆の子として接し
    育ているそうです 心の病がすっかり治り住み着いている方もいました
    これまでも何十人かが 提唱する自然療法でよくなられたそうです
    国内外から最も進んだエコヴィレッジのひとつとして注目を集め来園者が相次いでいるようです 僕たちが行った数日前は地球村の高木善行さんが、<お金のいらない国>長島りゅうじんさんや 小豆島のてんつくまんたちが訪れたそうです
    http://blog.konohana-family.org/?p=1062
    http://blog.konohana-family.org/?p=1021
    昼食が農場で採れたての旬な野菜がふんだんに盛られとってもおいしかったです
    食事の後は<木の花合唱団>による歓迎の歌と踊り 
    ニワトリ小学校の校歌をちびっ子たちが歌ってくれたり 
    とてもあったかいものを感じました
    リーダーの<イサドン>がとっても素敵でした
    夫婦で住み込まれている方も何組かいましたが
    ほとんどが単身 訪れた日か次の日にでも生まれる美しい
    女性は結婚を望む彼をおいてここにきたそうです
    縛られるのが嫌だったみたいです
    素晴らしい1日でした 宿泊や農業体験もできるそうです
    HPはhttp://www.konohana-family.org/
    ブログ http://blog.konohana-family.org/ - 神一厘

    寂しがり屋の理想郷w - 銘無き石碑

男と女とがお互いに相手を箒とし、味噌漉しとし、乳母車とし、貯金箱とし、ミシン機械とし、
日用の勝手道具と考える時、もはや必要から別れがたく、夫婦の実の愛情が生ずるのである

「虚妄の正義」より

幸福人とは、過去の自分の生涯から満足だけを記憶している人々であり、
不幸人とは、それの反対を記憶している人々である

「絶望の逃走」より

羞恥心は塩のようなものである。それは微妙な問題に味をつけ、情趣ひとしほに深くする

「虚妄の正義」より

懺悔者の背後には美麗な極光がある。

「極光」より
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どんな真面目な仕事も、遊戯に熱しているときほどには、人を真面目にし得ない。

「新しき欲情」より

都会の生活は非人情であり、
そしてそれ故に、遙かに奥床しい高貴の道徳に適っている。

「虚妄の正義」より

社交の秘訣は、真実を語らないという事ではない。
真実を語る事によってさえも、相手を怒らせないようにする事の技術である。

「港にて」より

生涯を金貨の中に埋もれて、乞食のように死んだ守銭奴の財産ほど、
無限に莫大なものがどこにあろうか

「虚妄の正義」より

すべての家庭人は、人生のはんばをあきらめて居る

「虚妄の正義」より
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最も親しき友人というものは、つねに兄弟のように退屈である

「虚妄の正義」より

    最も親しき友人というものは、常に魅力的で、かつ、刺激的である。私にとっては。 - 銘無き石碑

敵への怒りは、劣弱者が優勢者に対する権力感情の発揚である

「宿命」より

民衆の正義とは、富豪や、資産家や、貴族や、その他の幸福なものに対して、
利己的な嫉妬を感ずることである。

「虚妄の正義」より

崇高な不徳は讃美される。だが卑陋なけちくさい者共は、
どんな事情に於おいても許され得ない。

「虚妄の正義」より

女に於ける嫉妬は愛の高雅な情操によるのでなく、実には猛獣の激情に類するところの、
野蛮の本能によるのである

「虚妄の正義」より

愛は、その愛するものを独占しようと願っている。・・・しかしながら、愛はそれに成功してしまった後では、競争もなく、嫉妬もなく、
退屈で褪め易いものにかわってくる

「虚妄の正義」より

    愛が褪めやすいのは、相手よりも自己への愛のほうが強いから。実は、相手を愛してないから。 - 銘無き石碑

教育は猿を人間にしない。
ただ見かけのうえで、人間によく似た様子をあたえる。
猿が教育されればされるほど、益々滑稽なものに見えてくる。

「虚妄の正義」より

人の年老いていくことを、だれか成長と考えるか。老は成長でもなく退歩でもない。ただ「変化」である

「桃李の道」より

ふらんすへ行きたしと思へども、ふらんすはあまりに遠し

「旅上」の冒頭。