学識
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自分の内部に思いをこらし、学識が深いこと、底知れぬ淵のようであるとともに
外に、人と接して知的活動が自由自在なこと、空翔ける鳥のようであってこそ
はじめて、真の学者と言えるだろう。
私に沈深なるは淵のごとく、人に接して活発なるは飛鳥のごとく、その密なるや内なきがごとく、その豪大なるや外なきがごとくして、はじめて真の学者と称すべきなり。
最も学識のある人間が必ずしも最も賢明な者ではない。
「ガルガンチュアとパンタグリュエル」より
フランソワ・ラブレー
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フランス・ルネサンスを代表する人文主義者、作家、医師。ヒポクラテスの医書を研究し...-ウィキペディア
学問にあまり多くの時間をかけるのは怠惰である。
学問をあまりに多く飾りに用いるのは気取り屋である。
「随筆集」より
フランシス・ベーコン_(哲学者)
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イギリスの哲学者、神学者、法学者、貴族(子爵)である。イングランド近世(ルネサン...-ウィキペディア
悪賢い人は勉強を軽蔑し、単純な人は勉強を称賛し、賢い人は勉強を利用する。
「随筆集」より
フランシス・ベーコン_(哲学者)
66
イギリスの哲学者、神学者、法学者、貴族(子爵)である。イングランド近世(ルネサン...-ウィキペディア
教育は猿を人間にしない。
ただ見かけのうえで、人間によく似た様子をあたえる。
猿が教育されればされるほど、益々滑稽なものに見えてくる。
「虚妄の正義」より
教養は「世界で言われ、考えられた最上のことを知る」ことである。
「文学とドグマ」より
マシュー・アーノルド
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イギリスの詩人、批評家。 ...-ウィキペディア