栗本慎一郎 15

生 1941年11月23日
日本の経済人類学研究者、法社会学研究者、評論家、有明教育芸術短期大学学長。国会議員経験者(衆議院2期)。元経済企画庁政務次官。有限会社大学総合研究所理事長。NPO法人世界芸術文化振興協会理事、NPO法人神道国際学会会長、国際スポーツ振興協会理事。健康食品開発者。弁護士登録有資格者。...-ウィキペディア

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「すべての問題」が、まさしくすべてである「生命」の量子概念的検討にさらされたうえで、ある程度整合的に再提示されるべきだし、そうされうるだろう。

「意味と生命」から(p303)

革命とは、経済的な問題や、搾取の鎖を断ち切るというようなことではまったくない。
「共同幻想と私的幻想の離反から生じた自らの神経症の危機」に直面したヒトの社会全体が、
それを治し、自らを蘇生させる行動なのである。

「パンツをはいたサル」から(旧版p144~145 引用者一部要約)

全員がある根拠をもって「見る」=共通の認識こそが「事実」なのだ。
それは体系的に決まったものであり簡単に変えることはできない。
しかし、関係は関係なのであって、一定不変の実体のようなものとは違う。
その関係さえ理解できれば、「事実」を変えることができる。
全員が、それが石なら石と見えている根拠Aを乗り越える根拠Bをもって「これは木だ」と思おうとするとき、
それはあきらかに「木」に見えてくるものなのだ。
人々が何故にこれを石と見ているのか、木に見えないのは何故かという根拠がわかればできることである。
我々がまだ見つけていないだけであって、石に見えていたものを木に見せるシステムはあるに違いない。
その根拠そのものを見るところに科学は動いていっていることはたしかである。

「人類は思考する“金魚”である」から(旧版「人類新世紀終局の選択」p103 引用者やや編集)

宇宙の円環せる情報システムと合一したとて、人間の至福はないのだ。
その予感こそが、
人間をして
ノントリップの意識状態に通常、浮遊させていく
出発点となったものなのである。

「反文学論」から(p204)

知的で客観的な記述の方法とは、実はかえって限定的なものだ。
人格的なものに立脚した探求こそ、我々の知の宇宙的位置づけを明確にするものだ。
比較によって形成される感知や感覚は、常にある種の虚構である。
人間の感覚器官は、差異の知らせ(例 左右の視覚)しか受け取らない。
…にもかかわらず、それを新しい次元(奥行き)の中で補足するのが、感覚のキイなのだ。
これは知(knowing)の構図における原理の層の一段階アップの位相である。
そしてそれは、たとえ虚構であっても実在であり、従って、
科学的発見においても、この比較のプロセスを暗黙的に理解している者が勝利する。

「意味と生命」、グレゴリー・ベイトソンの議論に関連した部分(p68-69)

日本文化は決して東海の孤島に孤立したものではなく、ユーラシアに吹きわたる風の中に呼吸し続けたものだった、とわれわれは言いたいのだ。

栗本慎一郎 「シルクロードの経済人類学」 pⅴ”はじめに”
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現生人類と現代文明に繋がる新人は、みないったん南シベリアへ集住したのである。そして
その移動のルートが西アジア草原(草原の道)だった。

「ゆがめられた地球文明の歴史」p68

国家というものは人の集合体…領域の概念…
前者が遊牧の騎馬民族の考えであり、後者が農耕民の考えである。
この両者は明確に対立し、決して融和しない。
そして、帝国というものの原点は騎馬民族にあるのである。

「ゆがめられた地球文明の歴史」p232(引用者が一部編集)

南シベリアの草原と雪の中における文明は、
船や馬や馬車での移動と金属の積極利用の姿勢を文明に持ち込むものだったのである。
…ここで人類が次の時代へと移ったのである。

「ゆがめられた地球文明の歴史」p75(引用者が一部編集)

文明というものは、
しばしばわれわれの社会にとって死に至る病の発端であったかもしれないのだ。

「ゆがめられた地球文明の歴史」p22

ミヌシンスク文明から出てきた民族はいずれも自分たちを「人」と自称する騎馬民族である。匈奴しかりサカしかりである。シュメールも…

シュメール、スキタイ(サカ)、ゲルマンといった節目節目を作った人びとはすべて西アジアの草原に深いかかわりを持った。そして
いずれも文明という病を地球に拡大したのである。

「ゆがめられた地球文明の歴史」p80~81
※ミヌシンスク文明=オビ川やエニセイ川上流の南シベリアの盆地の紀元前の文明
(引用者が一部編集)
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4世紀とは要するに、東(アジア)も西(ヨーロッパ)も社会が興奮し激動の渦を生みだしていた時代なのだ。
この4世紀に鮮卑は中国中原どころかチベットまで移動する。同じ頃ヨーロッパで起きたゲルマン人の大移動に匹敵する大移動である。
4世紀のアジアの大激動が日本にまで及んだとき、突然の巨大古墳の時代が訪れたのであった。だから言うまでもなく、日本もアジアとヨーロッパの大きな運動に繋がっている。すると、
そもそも飛鳥の音が、アスカ(パルティア)やスキタイ(エシュク)あるいはアシュケナージとつながることも不思議ではなくなるだろう。

「ゆがめられた地球文明の歴史」p192
※アシュケナージ・ユダヤ人=ユダヤ人の9割を占め、旧約聖書の「セム」とは別系統でカザール帝国(7C~10C頃コーカサス周辺)から移住したチュルク(トルコ)系の人々等とも言われる。

4世紀とは要するに、東(アジア)も西(ヨーロッパ)も社会が興奮し激動の渦を生みだしていた時代なのだ。
この4世紀に鮮卑は中国中原どころかチベットまで移動する。同じ頃ヨーロッパで起きたゲルマン人の大移動に匹敵する大移動である。
4世紀のアジアの大激動が日本にまで及んだとき、突然の巨大古墳の時代が訪れたのであった。だから言うまでもなく、日本もアジアとヨーロッパの大きな運動に繋がっている。すると、
そもそも飛鳥の音が、アスカ(パルティア)やスキタイ(エシュク)あるいはアシュケナージとつながることも不思議ではなくなるだろう。

「ゆがめられた地球文明の歴史」p192
※アシュケナージ・ユダヤ人=ユダヤ人の9割を占め、旧約聖書の「セム」とは別系統でカザール帝国(7C~10C頃コーカサス周辺)から移住したチュルク(トルコ)系の人々等とも言われる。

原人と呼ばれるホモ・エレクトゥス…
彼らは、その祖先が初めて島(ダナキル島)に取り残されて以来、およそ600万年以上もの間、その地で進化を続けたのだ。そして水が引くたびごとに、あるグループは内陸に南下し、他のグループは島にとどまり、進化を続けた。
最後の一群が島を出て行ったのは、
ダナキル低地の最後の乾燥が終わる3万年前のことである。

「パンツを脱いだサル」p75~76(引用者一部編集)

ヒトの身体構造は、水の中では他の陸生哺乳類より圧倒的に優れているのである。
まず、鼻の形が違う。
他の類人猿は例外なく鼻孔が上を向き、呼吸するのに適しているのに対し、
ヒトは鼻梁を細く鼻孔も細くして、さらに下に向けている。
よく見ると鼻翼もついていて、そこには筋肉もある。
これは元来、水に対して開閉できるようになっていたからである。
全体の形においても鼻孔においても細くて高い鼻は、
いまでも我々に美しいと思わせる。
これは、進化した形のほうが美しいと思わせる「共振」の感覚がなせる業である。
美しいと思える方向がヒトの快感を高める方向であり、
快感を共有する方向が進化の方向になるからだ。

「パンツを脱いだサル」p67~68