原文

コラム 日本語の中の『論語』
原文:子曰く、後世畏るべし
現代語訳:後進の者は、本人の努力次第で将来どんな人物に成長するかわからないので、あなどってはいけない

後世おそるべし

子罕第九-23
孔健『痛快!新論語学』(集英社インターナショナル,2003)P199

    うむ - 銘無き石碑
コラム 日本語の中の『論語』
原文:子曰く、剛毅木訥(ごうきぼくとつ)、仁に近し
現代語訳:石が強く飾り気がなく口下手な人は、仁者に近い。「木訥」のみで使うことが多い

剛毅木訥は仁に近し

子路第十三-27
孔健『痛快!新論語学』(集英社インターナショナル,2003)P199
コラム 日本語の中の『論語』
原文:子曰く、民の義を務め、鬼神を敬してこれを遠ざく、知と謂うべし
敬うような態度を見せて、近づくのを避けること。ふつうは、意識的に避けることをいう

敬遠

雍也第六-22
孔健『痛快!新論語学』(集英社インターナショナル,2003)P199(P99参照)
コラム 日本語の中の『論語』
原文:義を見てせざるは勇なきなり
現代語訳:人の道として当然行うべきことと知りながら、実行しないのは勇気がないということだ

義を見てせざるは勇なきなり

為政第二-24
孔健『痛快!新論語学』(集英社インターナショナル,2003)198p
コラム 日本語の中の『論語』
原文:禹は吾れ間然とすること無し
まったく非の打ち所がなく、非難の余地もない

間然するところなし

泰伯第八-21
孔健『痛快!新論語学』(集英社インターナショナル,2003)198p
コラム 日本語の中の『論語』
古いことを調べ研究し、そこから新しい知識や考えを得る
原文:子曰く、故きを温めて新しきを知る、以(もっ)て師と為るべし
古いことも新しいこともよく知って、はじめて人の師になれる

温故知新

為政第二-11
孔健『痛快!新論語学』(集英社インターナショナル,2003)198p
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コラム 日本語の中の『論語』
原文:回(顔回)や一を聞きて以て十を知る
一つのことを聞いて残りのすべてを理解すること。聡明であることのたとえ

一を聞いて十を知る

公治長第五-9
孔健『痛快!新論語学』(集英社インターナショナル,2003)198p
コラム 日本語の中の『論語』
原文:子曰く、巧言令色鮮(すくな)し仁
現代語訳:口先がうまく顔色をつくろったりする者には、人の道を心得た者が少ない

巧言令色少なし仁

学而第一-3
孔健『痛快!新論語学』(集英社インターナショナル,2003)199p
コラム 日本語の中の『論語』
人の犯した過失を見て、その人が仁者かそうでないかが分かる
原文:子曰く、人の過つや、各々其の党(たぐい)に於てす。過ちを観て斯(ここ)に仁を知る
現代語訳:孔子が言われた。人の過失はその人の素質と関係があり、その過ちを観察するだけでその人が仁者かどうかがわかる

過ちを見て仁を知る

里仁第四-7
孔健『痛快!新論語学』(集英社インターナショナル,2003)198p
コラム 日本語の中の『論語』
原文:子曰く、朝に道を聞かば、夕べに死すとも可なり
現代語訳:朝に、人間として大切な道理を聞いて悟りに到達できれば、その日の夕方に信でもかまわない

朝(あした)に道を聞かば夕べに死すとも可なり

里仁第四-8
孔健『痛快!新論語学』(集英社インターナショナル,2003)198p

     論語は宇宙一の書とされる。その因としてこの言葉が論語にあることが貴重だと思う。即ち、多の歴史的書物にないところの真理がこの言葉に含められている。もちろん、一般に言われているところの「朝、道を聞いたら、その日の夕方に死んでも、本望である。」というのではない。
     
    この言葉は『ひとの人生には、「可」と「不可」があることを表し、人の人生が「可」となるためには、唯一、道を人から教わる必要がある』ということを意味している。人から教わる道とは何か?私は「大自然」にかかわるものだと思うが、説明は出来ない。また自分でつかみきろうとしてもできないものである。どうか「可」となるように努力し、人に教えられる「縁」を求めてほしい。
    鉄のわらじを踏み破れども明師に合いがたし。(弘法大師) - warau1943