シャンフォール 37

フランスの警句家 本名はセバスチャン・シャンフォール

自尊心は多くの美徳の源泉である。虚栄心はほとんどすべての悪徳をと悪癖の源泉である

「格言と省察」より

人生において笑うことなくすごした日々があれば、
それは最も無為にすごした日であることは疑いない

「格言と省察」より

流行の推移は、貧者の高知が富者の虚栄心に課する税金である。

「格言と省察」より

生きることは病気である。眠りが十六時間ごとにその苦しみを軽減してくれる。
眠りは一時的な緩和剤であり、死は特効薬である。

「格言と省察」より

    君は鬱病のように暗くてさ、困っていても会ってくれないし、暗い様子を明るくするのも労力がいるし、お別れしたいなあ。 - 銘無き石碑

    君は幸せじゃないんだろうね。 - 銘無き石碑

    人に対した時に、雰囲気か暗いのは礼儀に反していて失礼なんだよ。そのうち誰からも相手されなくなるよ。 - 銘無き石碑

    確かに相対する時にずっと暗いと印象は悪くなるよね。
    ただ違う人が言ってるような暗いからと言って一概に馬鹿と切り捨てるのも違うよね。 - 銘無き石碑

    ↑後半に同感 - 銘無き石碑

世の中で非常に活動している人間は、すべての鈍感な人のように思われる
というのは、世の中には心を惹きつけるようなものが何ひとつ見出せないからである

「格言と省察」より

    分かります - 銘無き石碑

真の幸福は目に映らない。真の幸福は見えないけれども、私の場合には希望を失ったとき、初めて幸福が訪れた

「格言と省察」より
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中傷は、うるさい蜂のようなものである。これを殺す確信がないならば、手を出しはいけない。
さもないと、前よりもいっそうはげしい突撃を繰り返す。

「格言と省察」より

人は自然の悪を知ることを学んで死を軽蔑し、社会の悪を知ることを学んで生を軽蔑する

「格言と省察」より

愚鈍は、もし英知を怖れなければ真の愚鈍とは言えない。悪徳は、もし美徳を憎まなければ真の悪徳とは言えない

「格言と省察」より

野心は大きな魂よりも小さな魂のほうにとっつきやすい。それはちょうど火が宮殿よりも、わらぶき家につきやすいように

「格言と省察」より

    アルバイトすらありません - 銘無き石碑

真価を伴なわない大人物は、尊敬なき服従を受ける

「格言と省察」より
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人々の手で最も金持ちなのは倹約家であり、
最も貧乏なのは守銭奴である

「格言と省察」より

希望は、つねにわれわれを欺くペテン師である。私の場合、希望を失ったとき、初めて幸福が訪れた

「格言と省察」より

機会が二度、扉を叩くなどとは考えるな

「格言と省察」より

結婚は良識のあるものにしか世間から受け入れられない。人の興味を惹くのは人眼を惹く馬鹿げた結婚だけであって、後のはすべてさもしい打算である

「格言と省察」より

社会は大きく二つの階級から成立している。食欲以上に晩餐会の多い連中と、食事の回数より食欲の旺盛な連中とである

「格言と省察」より

庶民階級出の者は、みな庶民の敵に回って彼らを圧迫する

「格言と省察」より

経済学者とは、とぎすまされたピカピカのメスと刃のこぼれたメスとをもって、
すこぶつ巧みに死者を解剖し、生者を残酷に取り扱う外科医のようなものである。

「格言と省察」より

着想が豊かだからといって、その人間が知的だとは必ずしもいえない。
配下に多くの兵士がいるからといって統率する将軍が立派だとは限らないのと同じだ。

「格言と省察」より

信念とは、精神の良心である。

「格言と省察」より

社会情勢から見て人類の不幸は、道徳や政治の面において、
「害を及ぼすものが悪である」と定義し得ても、「役に立つものが善である」とはいえないことである。

「格言と省察」より

世人は孤独に暮らす人を、社交を好まないと称するが、
人が夕方ポンディの森を徘徊したからといって、散歩を好まないらしいと決めるようなものだ

「格言と省察」より

自惚れは苦しみの源泉である。自惚れが消えた時から、
人生の幸福な時期が始まる。美しさが衰えかけたとはいえ、まだ相当きれいな婦人でも、己の自惚れによって不幸になるし、滑稽にもなる。

「格言と省察」より

    自惚れて性格が悪いから君はもてないんだよ。今までもてなかった事実が証明している。 - 銘無き石碑

姦通はひとつの破産である。ただ普通の破産と違う点は、破産の被害をこうむった人が不名誉をこうむるということである

「格言と省察」より

話の本題から脱線する技術が、世の中における雄弁の最も偉大な秘策である。

「格言と省察」より