作家:小説家
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無機的な、からっぽな、ニュートラルな、中間色の、富裕な、抜け目がない、
或る経済大国が極東の一角に残るだろう
人間は必ず決断を迫られるんです。
どっちに行っても心は残るし、
重荷は背負わなきゃいけない。
だから立ちすくむっていうのは、
そういうことだろうと思うわけです。
やっぱり生きてることは大変だなと・・・
「知ってるつもり 五木寛之」より。
やっぱり溜息つく時代なんですよ今は
もう溜息も出なくなったらお終いだと思うね
「知ってるつもり 五木寛之」より。
人はみな大河の一滴
『大河の一滴』より。
人生って勝つときもあれば負けるときもある。
うまく行くときもあれば行かないときもある、しょうがないじゃないかと、思った
「神宮球場の外野席で‥」(毎日新聞夕刊-文化欄,2001.10.12)
雨ふりにも教訓はあるし、
隣の家の駐車場にとまっているカローラ・スプリンターにも教訓はある
「教訓的な話」
どんな風に書くかというのは、どんな風に生きるかというのとだいたい同じだ
「文章の書き方」
ひとつの仕事ばかり続けていると、精神的に酸欠状態になるということもあります。
だからそのときどきでいろんな窓を開けて、
新鮮な空気を部屋の中に引き込むわけです。
『ユリイカ臨時増刊 村上春樹を読む』(2000・3)
ひとつの段階から別の段階に移っても、何も解決していない、
どこから来てどこへ行くのか誰も分かってない
――そういう短編が基本的には僕の考える、
というか、僕の求めている短編小説なんです
「メイキング・オブ・『ねじまき鳥クロニクル』」(『新潮』95・11)
本当にまれなほど徹底した弱さは全世界を破壊するほどの過激な観念を生んでしまう
笠井潔
1
1948年11月18日 東京都生まれの小説家、推理作家、SF作家、文芸評論家。
息を吸う、これが小説を書くということだとすると、息を吐く、これが翻訳だ
AERA Mook 75『村上春樹がわかる。』(朝日新聞社,2001)P8
加藤典洋
2
1948年生まれ。文芸評論家。
もうそれまでの現実否定で小説を書いても、それは人を動かさないよ
AERA Mook 75『村上春樹がわかる。』(朝日新聞社,2001)P7
加藤典洋
2
1948年生まれ。文芸評論家。
村上春樹は万華鏡だ。
AERA Mook 75『村上春樹がわかる。』(朝日新聞社,2001)P1
「セクシーな文体と時代の風の微妙な関係」
うまい作家でありつづけることはできても、
すごい作家でありつづけるというのはむずかしいんですよ。
塩野七生 五木寛之『おとな二人の午後』(角川書店,2003)302p
「セクシーな文体と時代の風の微妙な関係」
第一作はだれでも容易にできるんですよ。
だから大事なのは、第二作じゃないですか。
塩野七生 五木寛之『おとな二人の午後』(角川書店,2003)301p
「セクシーな文体と時代の風の微妙な関係」
風に吹かれて(amazon.co.jp)
風に吹かれて(amazon.co.jp)
ぼくたちはやはり生かされてる存在だと思うんです。
自分でもぼやっとして文章書いてて、手に書かされてるって思うときだってあるもの。
頭だけでも、ハートだけでもなくてね、手が書くっていう瞬間も実際、あるんですよ。
ヨットに帆を張って、風を待ってるようなものです。
なにか大きなものに励まされて、初めて書いていけるみたいな。
塩野七生 五木寛之『おとな二人の午後』(角川書店,2003)314p
「セクシーな文体と時代の風の微妙な関係」
歴史小説を書く人がおちいりやすいのは、上から見下ろすことなんですよ。
塩野七生 五木寛之『おとな二人の午後』(角川書店,2003)308p
「セクシーな文体と時代の風の微妙な関係」
最初からぼくは自分ひとりで仕事をしているとは思ってはいないのです。
書き手というのはお寺の鐘だと。
お寺の鐘がゴーンと鳴るのは、自分で鳴るわけじゃない。
やっぱり撞木があって、
撞木で鐘を撞く側の、時代とか読者とか社会というものがあって、ゴーンと鳴る。
でもまったく鳴らない鐘もある。割れた鐘もある。
よく鳴る鐘もあるし、低温で響く鐘もある。
錆びた鐘もあるし、澄んだ音を出す鐘もある。
そこが書き手の才能でしょう。
だから、作家はいわば鐘だと思うわけ。自分だけで勝手に鳴ってるわけじゃない。
塩野七生 五木寛之『おとな二人の午後』(角川書店,2003)302p