「セクシーな文体と時代の風の微妙な関係」

最初からぼくは自分ひとりで仕事をしているとは思ってはいないのです。
書き手というのはお寺の鐘だと。
お寺の鐘がゴーンと鳴るのは、自分で鳴るわけじゃない。
やっぱり撞木があって、
撞木で鐘を撞く側の、時代とか読者とか社会というものがあって、ゴーンと鳴る。
でもまったく鳴らない鐘もある。割れた鐘もある。
よく鳴る鐘もあるし、低温で響く鐘もある。
錆びた鐘もあるし、澄んだ音を出す鐘もある。
そこが書き手の才能でしょう。
だから、作家はいわば鐘だと思うわけ。自分だけで勝手に鳴ってるわけじゃない。

塩野七生 五木寛之『おとな二人の午後』(角川書店,2003)302p
五木寛之

五木寛之 19

生 1932年9月30日
日本の小説家・随筆家。作詞家としての活動も多い。旧姓は松延(まつのぶ)。...-ウィキペディア


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