歴史
文明というものは、
しばしばわれわれの社会にとって死に至る病の発端であったかもしれないのだ。
南シベリアの草原と雪の中における文明は、
船や馬や馬車での移動と金属の積極利用の姿勢を文明に持ち込むものだったのである。
…ここで人類が次の時代へと移ったのである。
国家というものは人の集合体…領域の概念…
前者が遊牧の騎馬民族の考えであり、後者が農耕民の考えである。
この両者は明確に対立し、決して融和しない。
そして、帝国というものの原点は騎馬民族にあるのである。
現生人類と現代文明に繋がる新人は、みないったん南シベリアへ集住したのである。そして
その移動のルートが西アジア草原(草原の道)だった。
なにを歴史的事実として認定するかによって、
歴史は幾とおりにも書き換えることができる。
唯一絶対的な歴史というものはあり得ない
1958年生まれ。音楽評論家。
歴史とは、過去の事実そのものではなく、後世の立場からみた過去の総括である。
したがって常に「総括し直す」ことができ、また過去は新たに統括されなければならない。
1948年生まれ。桐朋学園大学音楽部教授。
肉体は滅んでも文字は残る。
1953年生まれ。和光大学人間関係学部人間関係学科教授。
どのような歴史もすべて物語と分析の混合物である
1927年パリに生まれる。パリ大学を卒業後、国立科学研究センター(CNRS)の研...
事件のイメージは事件そのものよりも重要
1906年5月3日 - 2003年8月7日 フランスの歴史学者。
幸福で安全だった時代は歴史のうえでは白紙になる
ドイツの哲学者である。ヨハン・ゴットリープ・フィヒテ、フリードリヒ・シェリングと...-ウィキペディア
分析は、はじめから総合を視野に入れ、
かつ総合に役立つように配慮するのでなければ、総合に役立たない
1886年7月6日 - 1944年6月16日) フランスの歴史学者。
歴史とは歴史家と彼が見だした事実との相互作用の不断の過程であり、
現在と過去との間の尽きることを知らぬ対話
事実は決して与えられるものではなく、通常、歴史家によって創造されるもの、
言いかえれば仮説と推論の助けを借り、‥‥‥作り上げられるもの
1878年7月22日 - 1956年9月27日 フランスの歴史学者。
われわれは、他の領域の資産を恥も外聞もなくくすねる
1929年7月19日生まれ。現代フランスの歴史家。
史料は太鼓のようなもので誰かが叩かなければ音はでない、
すなわち、問題意識を持って史料に問いかけない限り答えてくれない
1886年7月6日 - 1944年6月16日) フランスの歴史学者。
最終の時代がつねに最も優れたものであって、
先行する時代はただ後続する時代の運搬者にすぎないものであると考えるなら、
それは神の不公平だ
19世紀ドイツの指導的歴史家。...-ウィキペディア
神の前においては、人類のどの時代もすべて平等の権利を持つ
19世紀ドイツの指導的歴史家。...-ウィキペディア
歴史の研究もまた究極においては、神に仕えることにほかならない
19世紀ドイツの指導的歴史家。...-ウィキペディア
すべての歴史の中には神が宿り、生きており認められる
19世紀ドイツの指導的歴史家。...-ウィキペディア
あらゆる時代は神に直接する
19世紀ドイツの指導的歴史家。...-ウィキペディア
歴史家にとっての基本的なハンディキャップは、ことの続きを知ってしまっていることだ。
フランスの歴史家。
おれは平安時代の貴族といっしょに酒を飲むのはごめんだ。
あんな付き合いにくい連中はいないよ
1924年(大正13年)1月16日 - 1993年(平成5年)1月24日) 日本...
歴史は、現在と過去との対話である
歴史学とは、
私たち一人一人が、地球というキャンパスで繰り広げられた
「すぎた時=過去」を整序し「征服」する営みなのです。
1948年生まれ。東京大学文学部教授。
史料はそれ自体が意味をもつものではなく、問いかけがあってはじめて意味を生み出す
1937年生まれ。北海道大学文学部教授。