名言・語録一覧
“黒夢”って、学生時代のアダ名みたいなもの。
『ああ、あなたって黒夢の人でしょ』みたいな。
でも僕は今、本名でやってる。アダ名と本名は違う。
もうその名前で呼ばないでくれっていう気持ちはずっとあった。
だから今度の武道館のライブで、そのアダ名を自分の手で叩きつぶして終わる。
2011年2月26日XXXX THE FAKE STAR(国立代々木競技場第一体育館)にて完全復活
きよはる 本名:森清治(もり きよはる)1968年10月30日 - 日本のミュ...
人間って、自分の判断が正しかったってことになると、
多少不幸だとしても“予測想定内の不幸だった”ということで耐えられるんですよ。
どうもみんな、想定外の幸福よりは想定内の不幸の方が好きらしくてね。
だから、最悪の事態を考えて準備すると、だいたいそっちに舵を切る。
でも、そこを見ると吸い寄せられるんですよ。
自分の身に起こる悪いことは絶対に考えちゃいけない。
“俺はTOEICの点数が500点しかないけど、あいつは800点ある。
300点の差を埋めるために頑張ろう”っていうのは、向上心とは言わない。
ただの競争心。
向上心に他人は関係ないんです。自分自身を観察するところからしか始まらない。
外形的、数値的に示された自分の社会的評価ばかり気に病む。
でもね、横にいる他人なんか見てもしょうがないんですよ。
本当に見るべきなのは、自分自身でしょう。
自分自身がきちんと前に進んでいるのかどうか、それだけでしょう。
もっとも簡単にブレイクスルーする方法は、
明らかに適切に生きている人を捜して、その人の弟子になることだ。
自分が圧倒的に未熟であることを知ることが前提だが
ブレイクスルーしない場合、人はずっと子どものままで社会を生きてくことになる
“日本地図だけしか持っていなくて、
その地図上の自分の街の場所しか知らなかった人が、
突然、東アジアの地図を渡されて、「君の街はここだよ」と指し示されたような気分のもの”
俺、なんか嫌なのかもしれない、物事を悪い方に考えるのが。
30歳過ぎたころから急に人の悪口が言えなくなっちゃって。
仕事のときだけじゃなくて奥さんや子どもと話してるときも、そう。
悪口言うと、夜、思い出して眠れなくなっちゃう。
作品を“100”まで持っていって、千秋楽を迎えたらまたゼロに戻す。
でもこのゼロは、単なるゼロじゃなく、やってきた“蓄えのあるゼロ”。
その繰り返しですね。毎回毎回、作品ごと
…いや、細かく言っちゃえば、ひとつのセリフごとに100まで持っていく。
“いいセリフが言えたな、理想通りの芝居ができたな”って、
夜家に帰って酒を飲みながら、達成感を味わって
“ようし、また明日”ってゼロに戻す。
1962年2月25日生まれの俳優
もちろん、このミュージカルもそんな作品になっています。
僕らがやっていて最終的に行き着くのは
“苦しいこともすべて含めて、生きるっていいよね”っていうところなんですよね
1962年2月25日生まれの俳優
『やんないよ』って言うのは簡単。でもそれは“ゼロ”ですよ。
やれば少なくともゼロではない。
マイナスになる可能性もあるけど、ゼロからは動き出すでしょ?
オーディションだってそうですよ。
1962年2月25日生まれの俳優
僕はずっと自分のことをアマチュアだと思っているんです。
アマチュアでいない限り、ショービジネスになってアカが溜まっちゃうんですよね。
1939年1月12日生まれの歌手
不況で就職も難しいだろうし、会社に入っていても決して安泰じゃない。
でもそういう時代のほうが面白い。RPGも簡単すぎるとつまらないでしょ。
だから、この状況を打破するために自分なりの作戦を立てる。
そこに情熱を傾けるのがまず大事なんじゃないかな。
来年どうなるかわからない状況下だからこそ、作戦の立てがいがあるんですよ
自分一人で面白いと信じ続ける自信はなかったなあ。
俳優は歳をとると、味が出てきてよくなるとか言われますけど、僕は全然そうは思いませんね。むしろできなくなることのほうが多い。それで、
過去の経験という引き出しの中からできることを引っ張り出してきて並べるわけですよ。
これまでやってきたいろんなことに則ってやるんじゃなくて、僕は新鮮にやりたいんです。
1950年10月12日生まれの俳優
“おもしろいかもしれない、続けていくかもしれないと思った”
それは、実は“芝居を”というだけじゃなくて、
“生きることを”だったんじゃないかなあって思うんです。
で、続けていこうと考えた途端、「劇団を辞めたくなったんですね」
1950年10月12日生まれの俳優
いまだって若い子が自殺して、周囲は原因を追及するけど、
ぼんやりと“死にたいな~”と思っている子はいっぱいいて。
ポンッときっかけを与えられたら、はずみで死んじゃうケースもいっぱいいるんですよ。
僕もたぶんそのひとりだったと思うんです。
1950年10月12日生まれの俳優
そこで初めて“俺はずっと芝居をやっていくのかもしれない”と思いました。
それが今日まで続いている。
もしそうじゃなかったら、僕はどこかで死んでたでしょう。
僕は結構“死にたがる子”でしてね。
1950年10月12日生まれの俳優
最初はセリフや歌を一生懸命やろうとするのですが、
何年かすると『あ、存在することなんだ』と気がつき、だんだん過剰な演技をしなくなり…
1950年10月12日生まれの俳優
マラソンはずっと全速力じゃ走れませんからね
1965年8月31日 - 日本の俳優、ディスクジョッキー
若いときにある俳優さんから言われたのが『忙しいってことに溺れるなよ』という言葉です。
1965年8月31日 - 日本の俳優、ディスクジョッキー
僕は自分の面白いと思ったことを、みんなに知ってもらいたい。
そのときみんなはどんな気持ちになるんだろう、って。
僕が好きだと言ったコーヒーを好きだって言ってくれる人はいるんだろうか。
キレイだと思った朝日を同じポジションから観て、
この人は同じように感じてくれるだろうか。ラジオでしゃべったことに
“そうだよね”“そうじゃない”って言う人がどのくらいいるんだろうかって。
1965年8月31日 - 日本の俳優、ディスクジョッキー
決められたバジェットのなかでなんとかするのではなく
“不可能はない”というところからスタートする。
発想に天井もボトムもなくて、座標軸そのものを自分でつくっちゃおうという感覚。
相当カルチャーショックを受けました。
1965年8月31日 - 日本の俳優、ディスクジョッキー
(ラジオは)いまもリスナーと同じような目線で、番組を上から発信するというよりは、
同じ時間を共有して共感し合えることを大事にしたいなと思ってます。
DJを勤める「J-WAVE TOKYO MORNING RADIO」について
1965年8月31日 - 日本の俳優、ディスクジョッキー