名言・語録一覧
叩くのは気分がいいし、叩く人はしばしば賢しげに見えたりもする。
叩いて叩いて、現場を回してきた人たちが退場して、
叩いてきた人たちが勇躍リーダーになると、現場は固まる。
固まって、再び動き出すまで、恐らくは何年もかかる。
ブロガー
畳の「へり」なら転ばず歩けるのに、
それが地上10m の高さに置かれたそのとたん、足がすくんで動けなくなる。
模範解答を知っていることと、
実際に決断ができることとは全くと言っていいほど異なって、
いざ自分がその状況に置かれてみないと、その違いには気がつけない。
ブロガー
世界的に権威のある教科書(洋書)だから、信頼性なら完璧なのに、
いざそれを使おうとして、それを翻訳するのが自分であることに思い至って、
その本がいきなり信用できないものに変わった。
普段は馬鹿にして、ろくに読みもしなかった日本語の「今日の治療指針」がありがたくて、それに頼ってようやく病棟を回すことができた。
ブロガー
人間って滑稽だ”ということが僕は好きなんですね。
どんなにカッコつけようが、偉大だろうが、普通にいる人だろうが。
1967年11月7日 - 日本のタレント
世の中を妬んで、最終的に殺人を犯す人のニュースがあったとして、恵まれていない人が、
恵まれた人を妬むことに関しては肯定すべきだろうと思ってたんです。
『そういうときもある』と。でも人殺しだけは絶対否定しなきゃならない。
ただそこでコメンテーター陣が『自分の努力が足りないのに、なんで人を妬むんだ』
っていう空気になったときに『俺はわかります』って言えなかったんです。
『人を妬むところまではわかる』って。
1967年11月7日 - 日本のタレント
(出演時間が)短い時間だと“この人はいい人”とか決めて観ちゃうんだけど、長くなると“本当にいい人なの?”とか、
“こいつは自分を利口だと思っているけど、利口じゃない人”とか、
まさに人間の滑稽な部分がゆっくり見えてくるんですね。
1967年11月7日 - 日本のタレント
ものごとを面白くするためのルールをいっつも考えてるんです
1967年11月7日 - 日本のタレント
トンネルを掘り続けてるようなものなんです。どこかで硬い岩にぶつかる。
いくらノミを振っても割れない。そこで腕組みしていたら終わりなわけで。
“じゃあこっちの土はどうなの、あっちはどうなの”って、
あっちこっち一生懸命もだえながら悪戦苦闘している。
そういう姿を“闘ってる”と呼ぶんだって僕は思うんですよね。
1956年3月8日 - 愛知県名古屋市出身のハードボイルド・冒険小説作家、推理...
最初は、極端な話、マットしか見えていません。
とにかくリングに上がって、その試合に向けて練習してきたことがどれだけ出せるか。
テストみたいなもんです。それが慣れてくると、相手が見える。
そして少し目線が上がると、
今度は相手の後ろにいるお客さんが見えるようになるんです。
1963年9月17日 - 日本のプロレスラー
私がコーヒーを飲む新しい理由ができました。
ネスレが製造販売しているコーヒー製品のブランド
東電「役員報酬を1850万円にします」
放射能をまき散らして申し訳ないので、役員報酬を半分にします。
得意分野という殻に閉じこもらずに、人に請われてやってみることで、開けていく
そっちで評価が高まると、そもそも自分が得意だと思っていたところも注目してもらえるようになる
うえだ しんや 1970年5月7日 - 日本のお笑いタレント、司会者 プライ...
たまーにゲストで呼ばれると楽しくてねー。
面白いことを言ってやる、って力むんじゃなくて
“このパーティを楽しもうぜ”っていうのが一番なのかなあって思い始めて。
ボキャブラ終了後、TV出演の頻度が少し減っていた時期
うえだ しんや 1970年5月7日 - 日本のお笑いタレント、司会者 プライ...
お話をいただいて“その仕事やりましょう、それもやりましょう”
ってやってたら、闇鍋状態になっちゃいました。
うえだ しんや 1970年5月7日 - 日本のお笑いタレント、司会者 プライ...
ゆるゆるもきっちりも。仕事はいまや闇鍋状態
上田晋也(タレント)について
「web R25 ロングインタビュー」ライター
こだわりは持たなければいけないものだと思っていた。今思えば、哲学や美学のような
自分ならではのものがないといけないという思い込みであわてて作った、
中身が空っぽのハリボテみたいなこだわりだったのだけど。
1965年9月5日 - 日本の俳優
太平洋の向こう側から見ていた“山”はとてつもなく高いことを、麓に行って気がついた。
海外での仕事について
1965年9月5日 - 日本の俳優
どんな役もつまらないと思うことはないんです。
23年間やっていて、完璧にできたと思ったことがいまだにないので。
演じることは相変わらず、難しいから楽しいっていう感じですね。
1965年9月5日 - 日本の俳優
コメディアンになりたいならギャグをやっちゃダメ
卑しい芝居をするな
小堺一機へのアドバイス
1931年(昭和6年)11月29日 - 1997年(平成9年)6月21日 俳優
言いながら(台詞を)思い出すんです
小堺一機へのアドバイス
普段の会話がそうでしょ、次に何を言うかはしゃべりながら考えてる。ページ単位で覚えたり言ったりしようとすると、あまりに芝居くさくなってしまう。
1958年1月4日 - 日本の演出家
役者というアンダーシャツを着て、役者というセーターを着て、
役者というコートも着ている感覚なんです。
何枚脱いでも、まだ役者という服を着ていますよ、みたいなね。
もっと言えば、裸になっても役者という肌がある、そんな確信を持ちたいんです。
笑いを取るということ、さらには(ワザとやったことを)
見破られないことの難しさを自分のなかで学習したような気がします。
中学時代、仲間にボケを見破られたとき
動物には動物の距離感があるように、人間同士がうまくやっていける距離感を、
僕ら団塊の世代はすし詰め教室で学びました。
大きなタイヤの自転車に乗り、変速ギアの楽しさを知り、学ランを来て半ズボンをはかなくなって…
中学生って大人になることだから、ここで変われるんだ、変わりたいんだって。
ウド すずき 本名:鈴木 任紀(すずき ひでき)1970年1月19日 - 浅井...