司馬遼太郎 45

1923年8月7日 - 1996年2月12日日本の小説家、ノンフィクション作家、評論家。本名、福田 定一(ふくだ ていいち)。大阪府大阪市生まれ。筆名の由来は「司馬遷に遼(はるか)に及ばざる日本の者(故に太郎)」から来ている。 産経新聞社記者として在職中に、『梟の城』で直木賞を受賞。歴史小説に新風を送る。代表作に『竜馬がゆく』『燃えよ剣...-ウィキペディア

五章 こどもはオトナの父
21世紀に生きる君たちへ(amazon.co.jp)など「子供は論文がわからない」と出版社の人からきいて

文章の気分が心にのこればいい

神山育子『こどもはオトナの父 司馬遼太郎の心の手紙』(朝日出版社,1999)263p
五章 こどもはオトナの父
関連名言 神山義三 あらゆる…(sekihi.net)

心にコドモがいなくなっているオトナがたくさんいますが、
それはもう、話すにも値しない人間のヒモノですね。

神山育子『こどもはオトナの父 司馬遼太郎の心の手紙』(朝日出版社,1999)264p

ほとんどの人は、
永く生きたようなつもりでいながら、じつは語るに足るほどの体験は数件ほどもない。
短編小説として搾りとれば三遍もできあがらない

『風塵抄』一九九〇年三月六日より。

私はどうも、日常人としては権力がきらいです。本当にきらいです

AERA Mook 62『司馬遼太郎がわかる。』(朝日新聞社,2000)P28
推理小説で文学賞を受賞した

日本は不思議な国です。
一度賞を取れば、何にでもコメントを求められるし、
またその気になれば何にでも発言できるんです

AERA Mook 62『司馬遼太郎がわかる。』(朝日新聞社,2000)P38

人間は孤立しては棲めない生物でもある
‥‥‥孤立に堪えられなくなったとき、たとえ短時間でも激しく群れたがる
‥‥‥政治的正義という煌々ある電灯が頭にともると、激烈に群れる
‥‥‥ときに殺人という反社会的行為をおこなうことによって
小集団は激烈に群れを回復する。

『人間の集団について――ベトナムから考える』(中公文庫)より。
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山折哲雄との対談にて。

宗教は人間を飼い慣らす装置である

「テーマ:宗教と日本人」(NHK,1995年6月)
森浩一との中国旅行時、泉州で少し時間があった。
泉州の郊外に老公石象の名で呼ばれてりう老子の石像がある。
森はタクシーで見に行こうと司馬をさそった。
すると司馬はきっぱりと「僕は行かない」と言う。理由をきくと

僕はそういう作られた物を見るのは嫌いなんです。
自分のなかにできている老子さんがこわれるのがいやなんです

ごほうびをもらってうれしいんですけど、小説というものは書生でないと書けない。
違う気分になるといけないので、明日からは忘れます。

文化勲章受章の記者会見(1993年10月22日)

青春の思い出といえば、
ふつう友人との間の思い出だから、図書館で友人もなく孤独でした。
いま、
自分の十代の間に何ごとかがプラスになったかも知れないということを考えてみると、
いくらか考えても図書館しかない。
学校は私にとって影響を与えてくれなかった感じです

大阪市立図書館報「図書館通信」(1971年12月)
インタビュー記事「図書館と歩んだ私の青春」

歴史は鏡である

AERA Mook 62『司馬遼太郎がわかる。』(朝日新聞社,2000)P49
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親分――英雄――は流民に食を保障することによって成立し、
食を保障できない者は流民に殺されるか、身一つで逃亡せざるをえない

『項羽と劉邦』より。

食が英雄を成立させた。
不幸にも食わせる能力をうしなうとき、英雄もただの人になった

『項羽と劉邦』より。

鋭さを面にあらわして歩いてるような男は才物であっても第二流だ。第一流の人物というのは、少々、馬鹿にみえている。

男の格言

    ギャップ - ピグレット
井上ひさし談

資料を読んで読み尽くして、
その資料を読み尽くした
後に出たこう透明なしずくをね
一滴二滴しずくが
出てくるんですよね。
それを書くんだ

「知ってるつもり?! 司馬遼太郎」より。

教育なんて人からされるものじゃないんだ

「知ってるつもり?! 司馬遼太郎」より。
晩年、家にいても、喫茶店でお茶を飲んでいても、夜中に目を覚ましても、ずっと言いつづけていた。

日本は滅びる

「知ってるつもり?! 司馬遼太郎」より。

物事を利害で考えてゆこうという頭のはたらきは、じつに複雑な思慮や分析力を必要とするが、正邪のほうは判断も簡単で済み、しかもそれがことばであらわされるとき、短剣のような鋭さで相手に訴える。

「城塞」p401ページより抜粋

正義というのは、人間が人間社会を維持しようとして生みだしたもっとも偉大な虚構と言えるかもしれない。
たしかに自然と現実から見れば、虚構にすぎない。
が、その虚構なしに人間はその社会を維持できないという強迫概念をもっている。

文庫本「花神」、下巻の167ページより抜粋。

つくづく考えてみるに、無能の国主、無能の家老、無能の領主とは乱世にあっては悪人だな。

『国盗り物語』より、主人公斎藤道三の養父長井利隆のセリフ。