ラ・ロシュフコー 138

フランスの有力貴族の名称である。...-ウィキペディア

肉体の労苦は、精神の労苦を癒す。それこそ貧乏人を幸せにする

「箴言集」より

われわれはみんな、他人の不幸を平気で見ていられるほど強い

「箴言集」より

人は往々にして自分が不幸に思えることに、
ある種の悦びをかんじることで、不幸である自分を慰める

「箴言集」より

    いや~実に良い言葉です!!
    思わず心癒されました。
    先日色々な事があって、現在超自己嫌悪中の私にはまさに
    当てはまる言葉であろうな。。。
    しっかり反省して、同じ過ちを繰り返さない様に、
    これからの人生を過ごそうと思います。 - くず

気前よさそうに見えるのは、しばしば偽装した野心家にすぎない。それは、わずかな利益を無視して巨利を獲得しようとしているのである

「箴言集」より

人は往々にして恋愛を去って野心に赴くが、
野心から恋愛に立ち戻ることはほとんどない

「箴言集」より

妨害が大きければ大きいほど欲望はつのる

「箴言集」より
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希望と俺とは切り離せない。希望のない怖れもなければ、怖れのない希望もない

「箴言集」より

希望はすこぶる嘘つきであるが、とにかくわれわれを愉しい小道を経て、人生の終わりまで連れて行ってくれる

「箴言集」より

知恵の霊魂におけるは、健康の肉体におけると同じである

「箴言集」より

薬が調合されるときに、そこに毒が入るように、
徳が組み合わされるとき、そこに不徳が入る。
知恵は徳と不徳をうまく調合し、それを人生の不幸に対して役に立てる

「箴言集」より

英知はいつも心情にだまされる。

「箴言集」より

    深いなあ
    私はこれ以上何も語ることはできない - lichtenburger
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人はときどき英知を持ちながら馬鹿だが、判断があって馬鹿であることは絶対にない。

「箴言集」より

一方の疑念は他方の欺瞞を正当化する。

相手を疑うのは相手に詐欺の口実を与えることになる「箴言集」より

哲学は容易に過去と未来の不幸を打ち敗かすが、
現在の不幸には打ち負かされる。

「箴言集」より

人は誰でも自分の物覚えについてはぼやくが、
誰ひとりとして自分の判断について嘆くものはいない。

「箴言集」より

模倣はしばしばわれわれを迷わせる道案内である。

「箴言集」より

いろいろの道徳が嘘であることを立証する格言を、
正しく判断するのをためらうのは、
それらが自分に関して真実であることがあまりにも容易に信じられるからである。

「箴言集」より

通常、青年たちに賦与する教育は、第二の自負を彼らに鼓吹することである。

生まれながら自惚れ屋の人間は、教育によってさらに自負心をつのらされる。「箴言集」より

害徳の名誉は、これから取得せねばならない名誉の担保である。

「箴言集」より

われわれが一方の人たちの栄誉を讃めるのは、
他方の人たちのそれをけなすためである。

「箴言集」より

徳は、虚栄が随伴するのでなければ、それほど遠くまでは行かないであろう。

「箴言集」より

不徳がわれわれのもとを立ち去ると、われわれは自分の法から不徳を棄てたと信じて得意になっている。

「箴言集」より

われわれの徳行は、往々にして偽装した不徳にすぎない。

「箴言集」より

    そうかも - 銘無き石碑

礼儀作法は法と称されるもののうちで、
いちばんつまらないものだが、最もよく実施されている。

「箴言集」より

善の究極は悪であり、悪の究極は善である。

「箴言集」より