ラ・ロシュフコー 138
フランスの有力貴族の名称である。...-ウィキペディア
大いなる欠点を持つことは、偉人たちのみに限られる
「箴言集」より
われわれが小さな欠点を認めるのは、大きな欠点を持っていないと、人に信じさせるためである
「箴言集」より
自己の腕前を人に示さないことこそが真の腕前である
「箴言集」より
青春とは不断の酔心地である、つまり理性の熱病である
「箴言集」より
大多数の若者たちは、ぶしつけと無作法さを天真らんまんのつもりでいる
「箴言集」より
あまり利口でない人たちは、一般に自分のおよび得ない事柄についてはなんでもけなす
「箴言集」より
賢者の不動心とは、心の動揺を胸中に閉じ込める技巧にすぎない
「箴言集」より
最も微妙な賢明は、最も微妙な愚かさにもなり得る
「箴言集」より
悪にかけても善にかけても英雄がいる
「箴言集」より
私はここの管理人は凡人でないと思う。
そしてこういう名言を選ぶ才能はすごい。
そういう柔軟な心を持つことが、人間のような馬鹿から脱する一歩だね。
- lichtenbirger
贋の紳士とは、自己の欠点を他人にも自分にもごまかす連中であり、真の紳士とは、それらを完全に認識し、それらを告白する人間である
「箴言集」より
大半の女性が友愛に感激しないのは、
恋情を知ってみると、友愛の味の方がまずいからだ
「格言集」より
嫉み心は友愛によって、コケットリは心の恋情によって壊される
「格言集」より
人間一般を知ることは、個々の人間を知ることよりも容易である
「箴言集」より
自惚れるということが全然なかったとしたら、この世にはさして愉しいことはあるまい
「箴言集」より
われ自身がいだいている自信が、他人に対する信用を芽生えさす
「箴言集」より
人間はときに、他人と別であると同じほどに自分も別人である
「箴言集」より
女は永くその最初の人を守っている、ただし、第二の人ができない限りは
「箴言集」より
夫人達の貞淑は、しばしば自分の評判、自分の安静をいとおしむ心にすぎない
「箴言集」より
女性は初めての情熱では愛人を恋するが、その後の情熱では恋を恋する
「箴言集」より
よい結婚はあるけれども、愉しい結婚はない
「箴言集」より
隣人の破産は敵をも味方をも歓ばす
「箴言集」より
情念はしばしば自分とは反対の情念を生み出す。吝嗇はしばしば乱費を、乱費をまた、吝嗇を生む。人はしばしば弱気がゆえに強く、臆病なるがゆえに大胆である
「箴言集」より
われわれは、われわれの大切な人の死に、涙を流しているのだと言いながら、
実はわれわれ自身のために涙を流しているのだ
「箴言集」より
そうなのかもしれないね - 銘無き石碑
希望と怖れとは切り離せない。希望のない怖れもなければ、怖れのない希望も無い
「箴言集」より
しばしばらわれわれは、われわれの最も美しい行為をも恥ずかしく思うことがある。その行為を生み出したすべての動機を他人に見られた場合には
「箴言集」より