バートランド・ラッセル 17
1872年5月18日 - 1970年2月2日
イギリスの哲学者、論理学者、数学者であり、社会批評家、政治活動家である。ラッセル伯爵家の貴族であり、イギリスの首相を2度務めた初代ラッセル伯ジョン・ラッセルは祖父にあたる...-ウィキペディア
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父親の生物学的機能は、子供をその無力のあいだに保護することで、
この生物学的機能が国家に継承されるならば、
父親はその存在自由を失う
「結婚と道徳」より
因襲にぜんぜん屈服しない男女から成り立つ社会のほうが
みんなが画一的になるような社会よりもおもしろい社会であろう、
「幸福の征服」より
アメリカにおいては
人々を判断するには、彼らの生活程度から推定される収入の多寡によるのが早道である。
「幸福の征服」より
愛情を受け取る人間は、一般的に言えば愛情を賦与する人である
「幸福の征服」より
極端な希望は極端な悲惨から生まれる
「アン・ポピュラル・エッセイ」より
売春婦の真の犯罪は職業道徳の空虚さを赤裸にしたことである。
「教育論」より
知的に閑暇を満たし得ることは、文明の至上の産物である。
「幸福の征服」より
道徳律はつねに変化している。
「断片」より
道徳を云々するものにとっては、退屈こそひとつの重要な問題である。
というのは、人類の罪悪の少なくとも半分は、退屈を恐れるあまりおかされるものであるから。
「幸福の征服」より
大学は職業のための訓練学校になりつつある。
それは、「教養」といったことにまったく無関心の全権主義者たちによって要請されている。
「教育について」より
恋愛のために出世をすべて犠牲にするのは、痛ましくも英雄的である場合もあるが、愚行であろう。だが、出世のために恋愛をすべて犠牲にすることも同じく愚行で、けっして英雄的ではない
「結婚と道徳」より
生活のために闘争といっているものは、正直なところ、成功のための闘争にほかならない
「幸福の征服」より
賢い人間が言ったことを愚鈍な人間が聞くとき、
正確であったためしがない。
なぜなら愚鈍な人間は、
自分が聞いたことを
自分が理解できる内容に無意識に変換してしまうためである。
理解や判断を保留するということが愚者には出来ない
ほぼ必ず、浅はかなこじつけで理解したつもりになる - 銘無き石碑
- 銘無き石碑
そんな 風に 相手のちょっとしたことも きちんと 理解して 聞くことが できたらなぁ… - 銘無き石碑
自分の意見と違う意見に腹を立てず、そういう意見が出た
理由を理解しようとする術を学ぶことが大事である。
哲学は、科学と同じく、誰かが、普遍的な問いを発した時にはじまる
塩野七生『サイレント・マイノリティ』(新潮社,1993)182p
幼虫期にはマルクス主義者であり、成虫になるとフロイト主義者になるだろう
事実マルクスは大英博物館の本の虫であった
AERA Mook 53『マルクスがわかる。』(朝日新聞社,1999)P108