ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ 506
1749年8月28日 - 1832年3月22日
ドイツの詩人、劇作家、小説家、自然科学者(色彩論、形態学、生物学、地質学、自然哲学、汎神論)、政治家、法律家。ドイツを代表する文豪であり、小説『若きウェルテルの悩み』『ヴィルヘルム・マイスターの修業時代』、叙事詩『ヘルマンとドロテーア』、詩劇『ファウスト...-ウィキペディア
真理は炬だ。しかも巨大な距だ。だから、私たちはみんな目を細めて、
そのそばを通り過ぎようとするのだ、
やけどすることを畏れさえして。
「格言集」より
新しい真理にとって、古い誤謬ほど有害なものはない。
「格言集」より
誤謬は真理に対して、睡眠が覚醒に対するような関係にある。
誤謬から目覚めて人がよみがえったように、
再び真理に向かうのを見た。
「格言集」より
適切な真理をいうのに、二つの道がある。
民衆には常に公然と、王公はつねに秘密にいうものである。
「四季」より
人間は現在がすこぶる価値のあることを知らない。ただ、なんとなく未来のよりよい日を願望し、いたずらに過去と連れ去って嬌態を演じている
「格言集」より
人間の最大の価値は、人間が外界の事情にできるだけ左右されずに、それをできるだけ左右するところにある
「ヴェルヘルム・マイステル」より
男は婦人の占めることのできる最高の地位に彼女を置こうとしています。家庭の支配よりも高い地位がほかにありますか
「ヘルマンとドロテア」より
どれほど孤独に生きようとも、人はいつのまにか、なんらかの債権者あるいは債務者になっている
「オティーリエの日記」より
およそ哲学というものは、常識をわかりにくい言葉で表現したものにすぎない。
「格言集」より
「それってお前のことだろ?」
という典型を見た(笑) - 銘無き石碑
つまり、経験主義者のよりどころ。
常識は地域的である。
常識が誰の目で見ても理にかなったものである、かどうかとは関係ない。
日本人は、日本語で書かれた常識と言う言葉の意味を正しく理解しているだろうか?
ゲーテのこの名言の訳は正しいのだろうか?
ゲーテの言葉にしては、浅すぎる。 - わかっていない人。
下手にきれいごとを言われるよりも何倍も効く。 - 銘無き石碑
二つの平和な暴力がある。
法律と礼儀作法がそれである。
「格言集」より
フランス人が礼儀と称するものは、典雅にまでやわらげられた高慢である。
「格言集」より
古の城楼の上に高く、英雄の気高き霊は立つ
「精神の祝福」より
賢者たちに過ちがなかったとすれば、
愚者たちはまったく絶望するほか無いであろう。
「箴言集」より
愚者と賢者はともに害がない。半分の愚者と半分の賢者だけが、いちばん危険である
「親和力」より
賢い人々はつねに最高の百科事典である
「格言集」より
外国語を知らない人は自国語についても無知である。
「格言集」より
言論の自由を呼号するのは、それを乱用しようとする人間のみである。
「格言集」より
検閲を用い、要求するのは権力者であり、
言論の自由を求めるのは身分の低い人たちである。
「格言集」より
人間が真に悪くなると、人を傷つけて喜ぶことのほかに興味を持たなくなる。
「格言と反省」より
人間は利己的でなければならないほど利己的な人間に隷属させられている
「格言集」より
おまえの本当の腹底から出たものでなければ、
人を心から動かすことは断じて出来ない。
「ファウスト」より
天才も不滅ではないということほど、凡人にとって慰めになることはない
「親和力」より
道徳の時期は四季と同じく移り変わる。
「わが生涯」より
実際の道徳の世界は、大半が悪意と嫉妬から成り立っている。
「格言集」より
名言集および格言集は、社会人にとって最大の宝である。
もし前者を適宣の場合に会話の中に織り込み、
後者を適切なときに記憶に喚び起こすならば。
「格言集」より