愛は寛容にして慈愛であり。愛は妬まず、愛は誇らず、驕らず、非礼を行わず、
己の利を求めず、憤らず、人の悪を想わず
「コリント十三章四節」より
医者を己をいやせ
「ルカによる福音四章二十三節」より
健やかなる者は、医者を要せず、ただ、病ある者、これを要す。
「マルコ伝二章十七節」より
貧欲は偶像礼拝にほかならず
「コロサイ人への手紙」より
わが時はいまだ至らず、汝らの時はつねに備われり
「ヨハネ七章六節」より
愛は律法の完全なり
「ローマ二十三章10節」より
われ童子の時は誇ることも童子のごとく、おもうことも童子のごとく、
論ずる事も童子のごとくなりしが、人と成りては童子のごとくを棄てたり
「コリント十三章」より
罪を犯す人は罪の奴隷なり。
「ヨハネ伝八章三十四節」より
もし汝の兄弟、罪を犯さば、これを戒めよ。
もし悔改めなば之をゆるせ。
「ルカ伝十七章三節」より
愛は懼れなし。全主愛は懼れを除く。懼れには苦難あればなり。懼るるものは愛いまだ全からず
「ヨハネ四章十八節」より
悪人と詐欺師とは人を惑わし、人に惑わされ、悪から悪へと落ち込む。
「コロサイ人への手紙二章八節」より
汝欺かるな、悪しき交際はよき風儀を害うなり
「コリント十五章三十三節」より
博学汝を狂気せしめたり。
「使徒伝二十六章二十四節」より
わが父よ、この酒杯もし我飲むまでは過ぎ去りがたくば、御意のままに成し給え
「マタイ二十六章四十二節」より
永遠の生命は 唯一の真の神に汝と汝の遣わし給いしイエス=キリストを知るにあり
「ヨハネ十七章三節」より
求めよ、さらば与えられん。
たずねよ、さらば見出されん。
門を叩け、さらば開かれん。
すべて求むるものは得たずねぬる者は見出し、
門をたたく者は開かるるなり
「マタイ伝二十六章六十四節」より
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何を主語とするかで答えは変わりますが、おそらく原文であれば「あなたは(それを)見つけるだろう」となります
しかし、これを日本語とするとき、その他が受身形であることに注意します
英語で読みましょう、
Ask and it will be given to you; seek and you will find; knock and the door will be opened to you.
For everyone who asks receives; the one who seeks finds; and to the one who knocks, the door will be opened. - 銘無き石碑
それ金を愛する諸般の悪しき事の根なり
「テモテ」より
狭き門より入れ、滅びにいたる門は大きく、その路は広く、之より入る者多し。
「マタイ伝七章十三節」より
すべて有てる人は、与えられていよいよ豊かならん。されど有たぬ者は、その有てる物をも取らるるべし
「マタイ」より
見ゆる所によらず、信仰によりて歩めばなり
「コリント後書五章七節」より
神の怒りは不義をもて真理を阻む人の、
もろもろの不敬と不義とに対いて天より顕わる
「ローマ書一章十八節」より
汝らは地の塩なり、塩もし効力を失わば、何をもてか之に塩すべき
「マタイ」より
それ隠れたるものの顕れなく、
秘めたるものの知らぬはなく、明らかにならぬはなし
「ルカ8章」より
「眼には眼を、歯には歯を」といえることあるを汝ら聞けり。
されど我は汝らに告ぐ、悪しき者に抵抗うな。
人もし汝の右の頬をうたば、左をも向けよ。
「マタイ伝五章三十八節」より
そもそも宗教の教義や説法というのは、個人あるいは一部の人に向けて発せられた言葉であることがほとんど
よって、一般的、最大公約数的な言葉使いなど意味を成さないので、そういった言葉の選び方はしないはず
一般的に誤解なく理解するためには膨大な注釈が必要となる
我こそは正しく理解できていると思っている人、詳しい説明をよろしく - 銘無き石碑
淫行を免がれんために、男はおのおの其の妻を持ち、女はおのおの其の夫を有つべし。夫は其の分妻に尽くし、妻もまた夫に尽くすべし
「コリント前書七章二節」より