ダンテ・アリギエーリ 41
1265年 - 1321年9月14日
イタリア都市国家フィレンツェ出身の詩人、哲学者、政治家。
ダンテの代表作は古代ローマの詩人ウェルギリウスと共に地獄(Inferno)、煉獄(Purgatorio)、天国(Paradiso)を旅するテルツァ・リーマで構成される叙事詩『神曲(La Divina Commedia)』であり、他に詩文集...-ウィキペディア
高利を貪る者は、これと異なる道を踏みて望みをほかにおき、
自然とその従者を軽んず
「神曲ー地獄編」より
堕落の因は、汝の見しごとく宇宙すべての重さに圧される者の呪うべき高慢なり
「神曲」より
幸多かりし日をしのぶより大いなる苦しみはなし
「神曲」より
幸福なりし時代を回想する大いなる悲しみなし
「神曲ー地獄編五曲」より
若きものいかに甘き種より出ずるや
「神曲ー天堂編十八曲」より
すべてのものの正しきは、これを和するのいかんによる。つくられし善のうち、
これをおのがもとにひくもの一つだになし。
この善光を放つがゆえに、その善生ず。
「神曲」より
これ善は、その善なるかぎり、しらるるとともに愛を燃やし、
かつその含む善の多きにしたがいて、愛また多いなるによる。
「神曲」より
疑念は真理の値よりめのごとく生ず。
しかして、こは峰より峰に我らを導き、ついにはいただきに射たらしむる自然の塗なり。
「神曲」より
心を苛責の有様にとむることなかれ、その成行きを思え。そのいかに悪しくとも大いなる審判のあとまで続かざることを思え
「神曲ー浄火編10曲」より
初めはつねに難しといえども、人の登るにしたがいて、その労を少なうするは、
これこの山の自然なり。
「神曲」より
血統の尊さは短くなり易き衣のごとし、
日に日に補足せざれば、時ははさみを持て周りをめぐらむ。
「神曲ー天堂編十六曲」より
汝らは獣のごとく生くるためにつくられたものにあらず、
徳と知識を求めんがためなり
「神曲」より
こよなき悲しみは、われらを再び神に結ぶ
「神曲ー浄火編二十三曲」より
キリスト・キリストと呼ばれる人にて、審判の時には、
キリストを知らざる人よりも遠く彼を離れるべき者多し
実のないキリスト教とは異教徒よりも罪深い連中である「神曲」より
人の習慣は、さながら枝の上なる葉の、彼散りてこれ生ずる似にたればなり。
「神曲」より
誠の信仰は、永久の国の使者たちに播かれ、すでにあまねく世に満ちたり。
「神曲ー浄火編二二曲」より
信仰とはのぞまるるものの基、見えざるものの証拠なり、しかしてこれ、その本質と見ゆ
「神曲ー天堂編二四曲」より
わが齢進みて、人おのおのその帆をおろし、編みをまきおさむるときにいたれば。さきにうれしかりしものいまはうるさく、われは悔いまた自由にして身を棄てき、
かくして救いの望みはありしをああ幸なし
「神曲ー地獄編」より
われはことばにて欺けるも、汝は貨幣にて欺けるなり、
わがここにあるは、ひとつの罪のためなるも汝の罪は鬼より多し。
「神曲」より
それ浮世の名声は、今こなたに吹き、
今かなたに吹き、そのところを変えるによりて名を変えうる風の一息にほかならず。
名声のはかないことを歌ったもの「神曲」より
心をひらめきて、わが汝に示すものを受け、これをその中に収めよ。
聞きて保たざるは知識を得るの道にあらず。
「神曲」より
自然の愛はつねに誤らず、されど他はよからぬ目的または強さのすぐるか、
足らざるかによって誤ることあり
「神曲ー浄火編十七曲」より
女の愛なるものは、見ること、触れることによりて、しばしば燃やされずんば、いくばくも保つあたわず
「神曲ー地獄編」より
憎しみを天にうくるすべての邪悪は、その目的非を行うにあり、
しかして、いっさいのかかる目的は、あるいは力により、
あるいは欺瞞によりてほかを苦しむ。
「神曲」より
汝が汝の学べるところのものを顧みて、
その教えの我が言葉に伴うを得るやを見る。
世の学問のいかなるものかを、自ら知って、その教えの我が教えに遠ざかるを見る。「神曲」より