フリードリヒ・ニーチェ 335
1844年10月15日 - 1900年8月25日
ドイツの哲学者、古典文献学者。現代では実存主義の代表的な思想家の一人として知られる。古典文献学者フリードリヒ・ヴィルヘルム・リッチュルに才能を見出され、哲学教授職を希望しつつも、バーゼル大学古典文献学教授となり、辞職した後は在野の哲学者として一生を過ごした...-ウィキペディア
善も強ければ、悪にも強いというのが、いちばん強力な性格である
「人間的な、あまりに人間的な」より
善悪において一個の創造者になろうとするものは、まず破壊者でなければならない。
そして、一切の価値を粉砕せねばならない。
「この人を見よ」より
悪意というものは、他人の苦痛自体を目的とするものにあらずして、
われわれ自身の享楽を目的とする。
「人間的な、あまりに人間的な」より
アンチテーゼは好んで誤謬が真理に忍び込んでいくときにとおる狭い門に他ならない。
「人間的な、あまりに人間的な」より
多くのつかのまの愚行ーそれを諸君は愛という。そして、諸君の結婚はひとつの長時間にわたる愚行として、
多くのつかのまの愚行に終止符を打つ
「ツァラトゥストラ」より
人々はなんらかの不潔なことを考えることを恥としないが、
この不潔な考えが彼らのものだといわれていると感じて恥じる
「人間的な、あまりに人間的な」より
論争に応ずる場合には、双方にとっていちばん不愉快なやり口は、立腹して黙っていることである。
というのは、攻撃者側は、一般的に沈黙を軽蔑のしるしと考えるからである。
「人間的な、あまりに人間的な」より
乞食ー乞食は一掃すべきである。けだし何か恵むのもしゃくにさわるし、
何もやらないのも、しゃくにさわるから
「曙光」より
脱皮できない蛇は滅びる。意見を脱皮していくことを妨げられた精神も同じことである。それは精神であることをやめる
「曙光」より
虚栄心の強い者は抜きん出たいと思うよりも、自己が秀でていると思ったがゆえに、
自己欺瞞や自己謀略のいかなる手段も嫌うことがない
「人間的な、あまりに人間的な」より
極端な行動は虚栄、普通の行動は習慣、中庸な行動は恐怖に帰されるならば、
過失を犯すことはまずなかろう。
「人間的な、あまりに人間的な」より
誰だってたまにはするでしょ
何が問題なんだろ
わからん
それくらい許容しようよ - みかりん
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同情を表示するのは軽蔑のしるしと感じられる。
同情が示されると、直ちに相手の怖れの対象でないことがはっきりするからである。
「漂泊者とその影」より
同情されたがる渇望は自己陶酔、
しかも、隣人の懐を傷めての自己陶酔の渇望である
「人間的な、あまりに人間的な」より
母親は息子の友人が成功すると嫉む。母親は息子よりも息子の中の自分を愛しているのである
「人間的な、あまりに人間的な」より
われわれが不意にある事柄について問われた場合に思いつく最初の意見は、
一般にわれわれの意見ではなく、われわれの階級・地位・素性につきもののきまり文句にすぎない。
「人間的な、あまりに人間的な」より
悲観をその基盤とし、不幸と悲哀を善とするこの道徳
この善悪の価値表は、速やかに破り捨てなければならない。
「善悪の彼岸」より
キリスト教徒はただ一人しかいなかった。
そして、その人は十字架の上で死んだ。この瞬間、以後「福音」と呼ばれているものは、
すでに彼が生きてきたものの正反対、すなわち「禍音」であった。
「反キリスト」より
スルーも出来ない時点でお前も同類
ならばせめて自論でも述べろよ - 銘無き石碑
彼の価値を評価するひとが
たったひとりでも
そばにいれば、
彼は狂わずに済んだかもしれない - スパイシーカフェ
私はキリスト教に対するこの永遠の弾劾を壁という壁、壁さえあればどこでも書き付けたい。
私は盲目でも読める文字を持っている、私はキリスト教を一大呪詛と呼ぶ。
「反キリスト」より
キリスト教道徳は奴隷の道徳、弱者の道徳である。
生の拡大を妨げ、本能の発揮を抑え、
人間を萎縮させ、退化させる道徳である
「善悪の彼岸」より
宗教は間接的にも直接的にも、
教義としても比喩としても、
いまだかつて一つの心理を含んだことはない。
というのは、どんな宗教も不安と欲求から生まれたものだからである。
「人間的な、あまりに人間的な」より
あらゆる種類の確信に拘束されない自由さは、
懐疑家の意志の強さに屈している。
信念を欲すること、肯定においても否定においても、
無条件なものを欲することは、弱さの証拠である。
「権力への意志」より
科学者が天才視されないのは、単なる理性の児戯にすぎない
「人間的な、あまりに人間的な」より
見事なボンサイっぷりですこと。 - apf
社会主義は老いぼれきった専制主義の空想的な弟で、これを継承しようとしているのである。
「人間的な、あまりに人間的な」より
みずから敵の間へ躍り込んでいくのは、
臆病の証拠であるかもしれない
「曙光」より
汝の敵には嫌うべき敵を選び、軽蔑すべき敵をけっして選ぶな。汝は汝の敵について誇りを感じなければならない
「ツァラトゥストラ」より