名言・語録一覧

椰子の葉にかゝれる月の影淡く
郷里をしのぶつはものの群

椰子の葉に かかれる月の 影淡く 郷里をしのぶ つわものの群
大東亜戦争殉難遺詠刊行会出版 大東亜戦争殉難遺詠集(絶版)より。
高田豊志 24

旧陸軍少尉 昭和20年5月13日沖縄にて特攻戦死。享年19歳。

菊の日のかをり豊かに出でゆきし還るを期さぬ特攻隊員

菊の日の かおり豊かに 出でゆきし 還るを期さぬ 特攻隊員
大東亜戦争殉難遺詠刊行会出版 大東亜戦争殉難遺詠集(絶版)より。
高田豊志 24

旧陸軍少尉 昭和20年5月13日沖縄にて特攻戦死。享年19歳。

すめろぎの空の御楯と十あまり八つにて散りし友ぞ尊き

すめろぎの 空の御楯と 十あまり 八つにて散りし 友ぞ尊き
大東亜戦争殉難遺詠刊行会出版 大東亜戦争殉難遺詠集(絶版)より。
高田豊志 24

旧陸軍少尉 昭和20年5月13日沖縄にて特攻戦死。享年19歳。

狭霧こむる銀山平の眞清水に血潮染めけむいにしへ思ほゆ

狭霧こもる 銀山平の 真清水に 血潮染めけむ いにしえ思ほゆ
銀山=新潟県銀山湖
大東亜戦争殉難遺詠刊行会出版 大東亜戦争殉難遺詠集(絶版)より。
横堀謹一 8

旧日本軍人 昭和20年5月4日戦死。享年30歳。

春寒き大きみさゝぎにもろふしてたゞに死なむと男(を)の子ら誓ふ

春寒き 大きみささぎに もろふして ただに死なんと 男(お)の子ら誓ふ
大東亜戦争殉難遺詠刊行会出版 大東亜戦争殉難遺詠集(絶版)より。
横堀謹一 8

旧日本軍人 昭和20年5月4日戦死。享年30歳。

はるばると旅に來つれば秋深み野比の山路に雁鳴きわたる

はるばると 旅に来つれば 秋深み 野比の山路に 雁鳴きわたる
大東亜戦争殉難遺詠刊行会出版 大東亜戦争殉難遺詠集(絶版)より。
横堀謹一 8

旧日本軍人 昭和20年5月4日戦死。享年30歳。

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野比山に雁鳴きゆけば遙かにも故郷(ふるさと)の母思ほゆるかも

野比山に 雁鳴きゆけば 遙かにも 故郷(ふるさと)の 母思ほゆるかも
大東亜戦争殉難遺詠刊行会出版 大東亜戦争殉難遺詠集(絶版)より。
横堀謹一 8

旧日本軍人 昭和20年5月4日戦死。享年30歳。

大君のまけのまにまにますらをは淡雪の如散りにけるはや

大君の まけのまにまに ますらおは 淡雪の如 散りにけるはや
大東亜戦争殉難遺詠刊行会出版 大東亜戦争殉難遺詠集(絶版)より。
横堀謹一 8

旧日本軍人 昭和20年5月4日戦死。享年30歳。

板戸うつあられ聽きつゝ夜の更(くだ)ちひそかに太刀を把りて目守(まも)るも

板戸うつ あられ聴きつつ 夜の更(くだ)ち ひそかに太刀を 把りて目守(まも)るも
大東亜戦争殉難遺詠刊行会出版 大東亜戦争殉難遺詠集(絶版)より。
横堀謹一 8

旧日本軍人 昭和20年5月4日戦死。享年30歳。

天皇(すめろぎ)の憂きみ心安めずて國の子我や悲しかりける

天皇(すめろぎ)の 憂きみ心 安めずて 國の子我や 悲しかりける
大東亜戦争殉難遺詠刊行会出版 大東亜戦争殉難遺詠集(絶版)より。
横堀謹一 8

旧日本軍人 昭和20年5月4日戦死。享年30歳。

ひむがしの神のみ山の立山に靜かに照らふおぼろ月かも

ひむがしの 神のみ山の 立山に 静かに照らふ おぼろ月かも
大東亜戦争殉難遺詠刊行会出版 大東亜戦争殉難遺詠集(絶版)より。
千石卉然 5

学徒動員 昭和19年12月27日学徒動員により事故死。享年20歳。

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荒魂(あらたま)の岩を削りし御劔(みつるぎ)の月かげ映ゆる其の姿はも

荒魂(あらたま)の 岩を削りし 御劔(みつるぎ)の 月かげ映ゆる 其の姿はも
御劔=剣岳
大東亜戦争殉難遺詠刊行会出版 大東亜戦争殉難遺詠集(絶版)より。
千石卉然 5

学徒動員 昭和19年12月27日学徒動員により事故死。享年20歳。

菊水の永久(とは)の流れを思ひつゝたゞに畏(かしこく)くをろがみにけり

菊水の 永久(とわ)の流れを 思ひつつ ただに畏(かしこく)く おろがみにけり(おがみにけり)
大東亜戦争殉難遺詠刊行会出版 大東亜戦争殉難遺詠集(絶版)より。
千石卉然 5

学徒動員 昭和19年12月27日学徒動員により事故死。享年20歳。

大いなる悲しみに耐え國の子は神のまにまに生きむとぞ思ふ

大いなる 悲しみに耐え 國の子は 神のまにまに 生きむとぞ思ふ
大東亜戦争殉難遺詠刊行会出版 大東亜戦争殉難遺詠集(絶版)より。
千石卉然 5

学徒動員 昭和19年12月27日学徒動員により事故死。享年20歳。

大命(おほみこと)今ぞ下れりたぎちくる我が胸の血はゆるぎ止まずも

大命(おおみこと) 今ぞ下れり たぎちくる 我が胸の血は ゆるぎ止まずも
大東亜戦争殉難遺詠刊行会出版 大東亜戦争殉難遺詠集(絶版)より。
千石卉然 5

学徒動員 昭和19年12月27日学徒動員により事故死。享年20歳。

海の子の雄々しく踏みて來にし道君立ちつくし神上りましぬ

海の子の 雄々しく踏みて 来にし道 君立ちつくし 神上りましぬ
大東亜戦争殉難遺詠刊行会出版 大東亜戦争殉難遺詠集(絶版)より。
山本五十六 19

日本の海軍軍人。第26、27代連合艦隊司令長官。海軍兵学校32期生。最終階級は元...-ウィキペディア


    韓国旅客船事故の際の船長の行動を見るにつけ、日本の艦船の乗り組み将兵・船員たちが、平時戦時にかかわらず、数多く船に立ちつくし、命を共にしたことに対し、尊崇の念を表したい。彼らの崇高な魂の前に頭をたれ、あらためて永遠の平安を祈る者である。 - 日本殉教者・殉国者記念会

かへり來ぬ空の愛子(まなご)の幾人かけふも敵艦に体当たりせし

かえり来ぬ 空の愛子(まなご)の 幾人か きょうも敵艦に 体当たりせし
大東亜戦争殉難遺詠刊行会出版 大東亜戦争殉難遺詠集(絶版)より。
山本五十六 19

日本の海軍軍人。第26、27代連合艦隊司令長官。海軍兵学校32期生。最終階級は元...-ウィキペディア

大海原見渡すきはみ影もなし昨日ひと日に仇を拂ひて

大海原 見渡すきわみ 影もなし 昨日ひと日に 仇を払いて
大東亜戦争殉難遺詠刊行会出版 大東亜戦争殉難遺詠集(絶版)より。
山本五十六 19

日本の海軍軍人。第26、27代連合艦隊司令長官。海軍兵学校32期生。最終階級は元...-ウィキペディア

指折りてうち數ふれば亡き友のかぞへ難くもなりにけるかな

指折りて うち数えれば 亡き友の かぞえ難くも なりにけるかな
大東亜戦争殉難遺詠刊行会出版 大東亜戦争殉難遺詠集(絶版)より。
山本五十六 19

日本の海軍軍人。第26、27代連合艦隊司令長官。海軍兵学校32期生。最終階級は元...-ウィキペディア

天皇(すめろぎ)のみ楯とちかふま心はとどめおかまし命死ぬとも

天皇(すめろぎ)の み楯とちかう ま心は とどめおかまし 命死ぬとも
大東亜戦争殉難遺詠刊行会出版 大東亜戦争殉難遺詠集(絶版)より。
山本五十六 19

日本の海軍軍人。第26、27代連合艦隊司令長官。海軍兵学校32期生。最終階級は元...-ウィキペディア

益良雄のゆくとふ道をゆききはめわが若人らつひにかへらず

益良雄の ゆくとう道を ゆききわめ わが若人ら ついにかえらず
真珠湾特攻隊を讃を詠
大東亜戦争殉難遺詠刊行会出版 大東亜戦争殉難遺詠集(絶版)より。
山本五十六 19

日本の海軍軍人。第26、27代連合艦隊司令長官。海軍兵学校32期生。最終階級は元...-ウィキペディア

いにしへの防人(さきもり)たちのゆきしてふ道を尋ねてわれは征でゆく

いにしえの 防人(さきもり)たちの ゆきしてふ 道を尋ねて われは征でゆく
大東亜戦争殉難遺詠刊行会出版 大東亜戦争殉難遺詠集(絶版)より。
村川弘 2

旧日本海軍大尉 神風特攻隊 昭和20年2月21日硫黄島にて特攻戦死。

母上の御手の霜焼いかならんと見上る空に春の動けり

母上の 御手の霜焼 いかならんと 見上る空に 春の動けり
大東亜戦争殉難遺詠刊行会出版 大東亜戦争殉難遺詠集(絶版)より。
村川弘 2

旧日本海軍大尉 神風特攻隊 昭和20年2月21日硫黄島にて特攻戦死。

神風や嵐を超えて靖國の神苑(かんぞの)に咲く白菊の花

神風や 嵐を超えて 靖國の 神苑(かんぞの)に咲く 白菊の花
大東亜戦争殉難遺詠刊行会出版 大東亜戦争殉難遺詠集(絶版)より。
山口清三郎 1

神風特攻隊員 昭和20年6月26日特攻戦死。享年24歳。

國乱るやつこ斬らむと祈りしが誠足らずて捕はれにけり

國乱る やっこ斬らんと 祈りしが 誠足らずて 捕はれにけり
大東亜戦争殉難遺詠刊行会出版 大東亜戦争殉難遺詠集(絶版)より。
横堀謹一 8

旧日本軍人 昭和20年5月4日戦死。享年30歳。