名言・語録一覧

國の為征く身なりとは知りながら故郷にて祈る父母ぞ恋しき

國の為 征く身なりとは 知りながら 故郷にて祈る 父母ぞ恋しき
大東亜戦争殉難遺詠刊行会出版 大東亜戦争殉難遺詠集(絶版)より。
広田幸宣 1

神風特攻隊員 昭和19年10月30日フィリピンにて特攻戦死。享年21歳。

寝つかれぬ侭に幕舎をうちいでて仰ぐ今宵の月ぞ清(きや)けき

寝つかれぬ 侭に幕舎を うちいでて 仰ぐ今宵の 月ぞ清(きや)けき
大東亜戦争殉難遺詠刊行会出版 大東亜戦争殉難遺詠集(絶版)より。
山田二郎 4

旧日本軍人 昭和20年3月17日硫黄島にて玉砕。享年24歳。

冷え冷えと渡る夜風に夢覚めて寝られぬままに思ふ故郷

冷え冷えと 渡る夜風に 夢覚めて 寝られぬままに 思ふ故郷
大東亜戦争殉難遺詠刊行会出版 大東亜戦争殉難遺詠集(絶版)より。
山田二郎 4

旧日本軍人 昭和20年3月17日硫黄島にて玉砕。享年24歳。

年超せば七十六になると言ふ祖母が便りに涙落ちたり

年超せば 七十六に なると言ふ 祖母が便りに 涙落ちたり
大東亜戦争殉難遺詠刊行会出版 大東亜戦争殉難遺詠集(絶版)より。
山田二郎 4

旧日本軍人 昭和20年3月17日硫黄島にて玉砕。享年24歳。

今年又君が御爲と祖母の為心盡せとたゞ祈るかな

今年又 君が御為と 祖母の為 心尽せとただ祈るかな
爲=為 盡=尽
大東亜戦争殉難遺詠刊行会出版 大東亜戦争殉難遺詠集(絶版)より。
山田二郎 4

旧日本軍人 昭和20年3月17日硫黄島にて玉砕。享年24歳。

大君の御楯とたえず思ふ身は名をも命も惜しまざらなむ

大君の 御楯とたえず 思ふ身は 名をも命も 惜しまざらなむ
大東亜戦争殉難遺詠刊行会出版 大東亜戦争殉難遺詠集(絶版)より。
山本五十六 19

日本の海軍軍人。第26、27代連合艦隊司令長官。海軍兵学校32期生。最終階級は元...-ウィキペディア

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くにを負ひてい向ふきはみ千万のいくさなれどもい上げはせじ

くにを負ひて い向うきわみ 千万の いくさなれども い上げはせじ
大東亜戦争開戦直前時詠
大東亜戦争殉難遺詠刊行会出版 大東亜戦争殉難遺詠集(絶版)より。
山本五十六 19

日本の海軍軍人。第26、27代連合艦隊司令長官。海軍兵学校32期生。最終階級は元...-ウィキペディア

さき匂ふ花の中にもひときはにかをりぞたかき花の益良雄(ますらを)

さき匂ふ 花の中にも ひときわに かおりぞたかき 花の益良雄(ますらお)
真珠湾特攻隊を讃を詠
大東亜戦争殉難遺詠刊行会出版 大東亜戦争殉難遺詠集(絶版)より。
山本五十六 19

日本の海軍軍人。第26、27代連合艦隊司令長官。海軍兵学校32期生。最終階級は元...-ウィキペディア

比ひなき勲をたてし若人は永久(とは)にかへらずわが胸痛む

比いなき 勲をたてし 若人は 永久(とわ)にかえらず わが胸痛む
大東亜戦争殉難遺詠刊行会出版 大東亜戦争殉難遺詠集(絶版)より。
山本五十六 19

日本の海軍軍人。第26、27代連合艦隊司令長官。海軍兵学校32期生。最終階級は元...-ウィキペディア

かねてより思ひ定めし道なれど火の艦橋に君登りゆく

かねてより 思い定めし 道なれど 火の艦橋に 君登りゆく
大東亜戦争殉難遺詠刊行会出版 大東亜戦争殉難遺詠集(絶版)より。
山本五十六 19

日本の海軍軍人。第26、27代連合艦隊司令長官。海軍兵学校32期生。最終階級は元...-ウィキペディア

燃えくるふ炎を浴みて艦橋に立ち盡くせしかわが提督は

燃えくるう 炎を浴びて 艦橋に 立ち尽くせしか わが提督は
盡=尽くす
大東亜戦争殉難遺詠刊行会出版 大東亜戦争殉難遺詠集(絶版)より。
山本五十六 19

日本の海軍軍人。第26、27代連合艦隊司令長官。海軍兵学校32期生。最終階級は元...-ウィキペディア

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大君に盡すに道は數あれど何にたとへん今日の嬉しさ

大君に 尽すに道は 数あれど 何にたとへん 今日の嬉しさ
盡=尽
大東亜戦争殉難遺詠刊行会出版 大東亜戦争殉難遺詠集(絶版)より。
三井傳昌 2

旧日本海軍少尉 神風特攻隊 昭和20年4月6日沖縄周辺にて特攻戦死。享年21歳。

ひそかなる心にあれど盡忠の赤き心は神や知るらん

ひそかなる 心にあれど 尽忠の 赤き心は 神や知るらん
盡=尽
大東亜戦争殉難遺詠刊行会出版 大東亜戦争殉難遺詠集(絶版)より。
三井傳昌 2

旧日本海軍少尉 神風特攻隊 昭和20年4月6日沖縄周辺にて特攻戦死。享年21歳。

我が兵の疲るゝことを知りつれど
警戒せずば今宵あやふし

我が兵の 疲るることを 知りつれど 警戒せずば 今宵あやふし
大東亜戦争殉難遺詠刊行会出版 大東亜戦争殉難遺詠集(絶版)より。
若林東一 4

旧陸軍大尉 昭和18年1月14日、ガダルカナル島にて戦死。享年30歳。

老准尉の兵は疲ると言ふを押さへ我は命じぬ分哨ふたつ

老准尉の 兵は疲ると 言ふを押さへ 我は命じぬ 分哨ふたつ
大東亜戦争殉難遺詠刊行会出版 大東亜戦争殉難遺詠集(絶版)より。
若林東一 4

旧陸軍大尉 昭和18年1月14日、ガダルカナル島にて戦死。享年30歳。

夜もすがら穴居ふるはせ空赤しツラギの沖の海戰やある

夜もすがら 穴居ふるはせ 空赤し ツラギの沖の 海戦やある
ツラギ=ツラギ島。
大東亜戦争殉難遺詠刊行会出版 大東亜戦争殉難遺詠集(絶版)より。
若林東一 4

旧陸軍大尉 昭和18年1月14日、ガダルカナル島にて戦死。享年30歳。

たたかひに疲れ果てたる青ざめし兵の寝顔ををろがみて通る

たたかひに 疲れ果てたる 青ざめし 兵の寝顔を おろがみて通る
大東亜戦争殉難遺詠刊行会出版 大東亜戦争殉難遺詠集(絶版)より。
若林東一 4

旧陸軍大尉 昭和18年1月14日、ガダルカナル島にて戦死。享年30歳。

世の中に生るも死ぬも一つなり
かたきにつかんますらをのみち

世の中に 生るも死ぬも 一つなり かたきにつかん ますらおのみち
大東亜戦争殉難遺詠刊行会出版 大東亜戦争殉難遺詠集(絶版)より。
伊藤正一 1

旧日本軍人

大空に散って行く身の若櫻み楯となりて永久に護らん

大空に 散って行く身の 若桜 み楯となりて 永久に護らん
大東亜戦争殉難遺詠刊行会出版 大東亜戦争殉難遺詠集(絶版)より。
高橋安吉 2

旧海軍少尉 特攻隊 昭和19年12月28日フィリピン島にて特攻戦死。享年22歳。

大空に國の鎭めと散りゆかん大和男子の八重の櫻と

大空に 國の鎮めと 散りゆかん 大和男子の 八重の桜と
大東亜戦争殉難遺詠刊行会出版 大東亜戦争殉難遺詠集(絶版)より。
高橋安吉 2

旧海軍少尉 特攻隊 昭和19年12月28日フィリピン島にて特攻戦死。享年22歳。

短きを何か惜しまむ國のため大君のため捨つる命を

短きを 何か惜しまむ 國のため 大君のため 捨つる命を
大東亜戦争殉難遺詠刊行会出版 大東亜戦争殉難遺詠集(絶版)より。
林俊夫 1

旧陸軍大尉 昭和18年5月29日アッツ島にて玉砕。

美しき花の春をも待ち得ずに母はなぜ世逝けりけるかも

美しき 花の春をも 待ち得ずに 母はなぜ世 逝けりけるかも
大東亜戦争殉難遺詠刊行会出版 大東亜戦争殉難遺詠集(絶版)より。
広瀬靜 1

神風特攻隊員 昭和19年12月7日レイテ島にて特攻戦死。享年19歳。

赤道を南に越えてことごとくあたらしき花鳥に遇ふも

赤道を 南に越えて ことごとく あたらしき花 鳥に遇ふも
大東亜戦争殉難遺詠刊行会出版 大東亜戦争殉難遺詠集(絶版)より。
米川稔 2

旧陸軍医少尉 昭和19年9月15日病衰にて行軍不能になり自決。享年48歳。

かく清くわがいのちありいづれの日いかならむ日ともゆかしめたまへ

かく清く わがいのちあり いずれの日 いかならん日とも ゆかしめたまえ
大東亜戦争殉難遺詠刊行会出版 大東亜戦争殉難遺詠集(絶版)より。
米川稔 2

旧陸軍医少尉 昭和19年9月15日病衰にて行軍不能になり自決。享年48歳。

貴様らのくるまで敵の反抗を喰ひとめるぞと隊長は征く

貴様らの くるまで敵の 反抗を 喰いとめるぞと 隊長は征く
大東亜戦争殉難遺詠刊行会出版 大東亜戦争殉難遺詠集(絶版)より。
前原喜雄 2

旧日本軍人