名言・語録一覧

數ならぬ身をいつまでか持するべき聖(ひじり)の彈丸(たま)となりて碎けん

数ならぬ 身をいつまでか 持するべき 聖(ひじり)の弾丸(たま)と なりて砕けん
大東亜戦争殉難遺詠刊行会出版 大東亜戦争殉難遺詠集(絶版)より。
木村義任 9

陸軍特攻隊員 昭和20年5月17日特攻戦死。享年22歳。

君が代は松の上葉におく露のつもりて四方の海となるまで

君が代は 松の上葉に おく露の つもりて四方の 海となるまで
大東亜戦争殉難遺詠刊行会出版 大東亜戦争殉難遺詠集(絶版)より。
熊倉高敬 4

神風特攻隊員 海軍少佐 昭和20年4月14日特攻戦死。享年25歳。専修大學出身。

天皇の御楯となりて死なむ身の心は常に樂しくありけり

天皇の 御楯となりて 死なむ身の 心は常に 楽しくありけり
大東亜戦争殉難遺詠刊行会出版 大東亜戦争殉難遺詠集(絶版)より。
熊倉高敬 4

神風特攻隊員 海軍少佐 昭和20年4月14日特攻戦死。享年25歳。専修大學出身。

大君の御楯となりて捨つる身と思へば軽き我が命かな

大君の 御楯となりて 捨てる身と 思えば軽き 我が命かな
大東亜戦争殉難遺詠刊行会出版 大東亜戦争殉難遺詠集(絶版)より。
熊倉高敬 4

神風特攻隊員 海軍少佐 昭和20年4月14日特攻戦死。享年25歳。専修大學出身。

君の爲め碎けて散りし後迄も
父母の御恩は忘れざりけれ

君の為め 砕けて散りし 後迄も 父母の御恩は 忘れざりけれ
大東亜戦争殉難遺詠刊行会出版 大東亜戦争殉難遺詠集(絶版)より。
杉山喜一郎 3

神風特攻隊 海軍少尉 昭和20年1月21日沖縄方面にて特攻戦死。享年22歳。

折にふれ時にあたりて思ふかな老いゆく父母はいかにあるかと

折にふれ 時にあたりて 思うかな 老いゆく父母は いかにあるかと
大東亜戦争殉難遺詠刊行会出版 大東亜戦争殉難遺詠集(絶版)より。
杉山喜一郎 3

神風特攻隊 海軍少尉 昭和20年1月21日沖縄方面にて特攻戦死。享年22歳。

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盡忠の誠いだきて眞しぐら散つて悔いなき大和魂

尽忠の 誠いだきて 真っしぐら 散って悔いなき 大和魂
大東亜戦争殉難遺詠刊行会出版 大東亜戦争殉難遺詠集(絶版)より。
杉山喜一郎 3

神風特攻隊 海軍少尉 昭和20年1月21日沖縄方面にて特攻戦死。享年22歳。

男子我れ防人(さきもり)となる甲斐ぞある東半球の果てに死ぬれば

男子我れ 防人(さきもり)となる 甲斐ぞある 東半球の 果てに死ぬれば
大東亜戦争殉難遺詠刊行会出版 大東亜戦争殉難遺詠集(絶版)より。
那須弓雄 1

旧陸軍少尉 昭和17年10月23日ガダルカナル島にて戦死。

父母に最後と思ふこの便り我に書くことも無し唯御元氣で

父母に 最後と思ふ この便り 我に書くことも無し 唯御元気で
大東亜戦争殉難遺詠刊行会出版 大東亜戦争殉難遺詠集(絶版)より。
増渕松夫 5

旧陸軍少尉 特攻隊員 昭和20年5月25日沖縄に特攻戦死。享年22歳。栃木県立宇...

おくれじと咲きて散りなむ大空にみくにを護る我若櫻

おくれじと 咲きて散りなむ 大空に みくにを護る 我若桜
大東亜戦争殉難遺詠刊行会出版 大東亜戦争殉難遺詠集(絶版)より。
佐藤貞志 2

神風桜花特攻隊員 昭和20年6月22日特攻戦死。享年18歳。

かずかずの思ひをのこし若き身の國の守りに今日ぞ出で立つ

かずかずの 思ひをのこし 若き身の 國の守りに 今日ぞ出で立つ
大東亜戦争殉難遺詠刊行会出版 大東亜戦争殉難遺詠集(絶版)より。
佐藤貞志 2

神風桜花特攻隊員 昭和20年6月22日特攻戦死。享年18歳。

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散る日迄靜けく薫れ敷島に
雄々しく咲きしますらをの花

散る日迄 静けく薫れ 敷島に 雄々しく咲きし ますらをの花
大東亜戦争殉難遺詠刊行会出版 大東亜戦争殉難遺詠集(絶版)より。
長島義茂 1

旧海軍少尉 昭和20年4月6日沖縄にて特攻戦死。享年20歳。

一度は雲染む屍と散りぬれど
七度生れ敵に向かわん

一度は 雲染む屍と 散りぬれど 七度生れ 敵に向かわん
大東亜戦争殉難遺詠刊行会出版 大東亜戦争殉難遺詠集(絶版)より。
吉野時二郎 2

旧陸軍少尉 昭和19年11月18日フィリピン島にて戦死。享年22歳。

苦も樂も共に分け合ひ助け合ひ仲良く暮らせ兄姉五人

苦も楽も 共に分け合い 助け合い 仲良く暮らせ 兄姉五人
大東亜戦争殉難遺詠刊行会出版 大東亜戦争殉難遺詠集(絶版)より。
吉野時二郎 2

旧陸軍少尉 昭和19年11月18日フィリピン島にて戦死。享年22歳。

両親の寫(うつ)し姿を胸にして我は散りなん太平洋に

両親の 写し姿を 胸にして 我は散りなん 太平洋に
大東亜戦争殉難遺詠刊行会出版 大東亜戦争殉難遺詠集(絶版)より。
木村義任 9

陸軍特攻隊員 昭和20年5月17日特攻戦死。享年22歳。

轟沈の二字を刻みてますらをは醜翼はらむ船に碎けん

轟沈の 二字を刻みて ますらおは 醜翼はらむ 船に砕けん
大東亜戦争殉難遺詠刊行会出版 大東亜戦争殉難遺詠集(絶版)より。
木村義任 9

陸軍特攻隊員 昭和20年5月17日特攻戦死。享年22歳。

忠義をば任務と結びて母生みし我なほつかへん大君の辺に

忠義をば 任務と結びて 母生みし 我なおつかえん 大君の辺に
大東亜戦争殉難遺詠刊行会出版 大東亜戦争殉難遺詠集(絶版)より。
木村義任 9

陸軍特攻隊員 昭和20年5月17日特攻戦死。享年22歳。

人々は人の人見て人笑ふ人の笑は人ぞ笑はん

人々は 人の人見て 人笑ふ 人の笑は 人ぞ笑はん
大東亜戦争殉難遺詠刊行会出版 大東亜戦争殉難遺詠集(絶版)より。
木村義任 9

陸軍特攻隊員 昭和20年5月17日特攻戦死。享年22歳。

ふるさとの山に向ひて言ふ事はなし
身を羽衣とな志て碎けん

ふるさとの 山に向いて言う 事はなし 身を羽衣と な志て砕けん
大東亜戦争殉難遺詠刊行会出版 大東亜戦争殉難遺詠集(絶版)より。
木村義任 9

陸軍特攻隊員 昭和20年5月17日特攻戦死。享年22歳。

今日の戰の空に身を挺すいやしき身こそ捨つるときなれ

今日の 戦の空に 身を挺す いやしき身こそ 捨てるときなれ
大東亜戦争殉難遺詠刊行会出版 大東亜戦争殉難遺詠集(絶版)より。
木村義任 9

陸軍特攻隊員 昭和20年5月17日特攻戦死。享年22歳。

今日も又戰友の功し傳へきく
俺は如何にと涙溢れて

今日も又 戦友(とも)の功(いさお)し 傳(ひろ)へきく 俺は如何にと 涙溢れて
大東亜戦争殉難遺詠刊行会出版 大東亜戦争殉難遺詠集(絶版)より。
木村義任 9

陸軍特攻隊員 昭和20年5月17日特攻戦死。享年22歳。

新しき光に生きんをさな子の幸を祈りて我はちらなむ

新しき 光に生きん おさな子の 幸を祈りて 我はちらなむ
大東亜戦争殉難遺詠刊行会出版 大東亜戦争殉難遺詠集(絶版)より。
熊井常郎 1

海軍特攻隊員 海軍大尉 昭和20年4月28日特攻戦死。慶應大卒。


    きゃ~くし!!(^3)// - さなえ

    貴方が逝ってから、70年の月日が、経ちました。 新しき光を浴びて70年を生きてきました。 常に新しい光を見つめながら感謝の心を忘れないようこころがけてきました。ありがとうございます。これからの新しい光と共にある幸を次の世代のために真摯に祈って残る人生を全うしていきていきます。   ごんちゃんとよばれていた貴方は、戦争のない昭和、平成の世をしっかりとまもってくださいましたね、貴方に抱っこされていた姪っ子より。
    - 新しき光の子

    やがて戦争も終わるだろう。そして、やがて新しい命がこの国に生まれるだろう。その幼子たちの幸せを祈って、自分は散っていくのだという見事な覚悟を、静かにつぶやくように詠んでいる。
    声高に戦争を賛美するのでもなく、母や家族への追慕を語るのでもなく、勇ましさを全面に押し出すのでもなく、甘美な感傷に浸るのでもない。この辞世の静かな語り口は、しかし、とても強く我々の胸に迫ってくる。
    - 内田勝也

    うまい解説文だ! - 銘無き石碑

散る花の二度と咲くとは思はねどせめて残さん花の香りを

散る花の 二度と咲くとは 思はねど せめて残さん 花の香りを
大東亜戦争殉難遺詠刊行会出版 大東亜戦争殉難遺詠集(絶版)より。
中島昭二 1

神風特攻隊員 海軍少尉 特攻戦死。享年18歳。

白妙の不二のたかねの見ゆるかな
昔かはらぬ大和魂

白妙の 不二のたかねの 見ゆるかな 昔かはらぬ 大和魂
大東亜戦争殉難遺詠刊行会出版 大東亜戦争殉難遺詠集(絶版)より。
長谷川喜市 1

旧日本海軍 二等飛行兵曹 昭和20年4月6日戦死。

大君の御楯となりて空を征き撃ち滅ぼさん敵の艦かな

大君の 御楯となりて 空を征き 撃ち滅ぼさん 敵の艦かな
大東亜戦争殉難遺詠刊行会出版 大東亜戦争殉難遺詠集(絶版)より。
浅見育三 1

神風特攻隊員 二等飛行兵曹 昭和20年4月16日特攻戦死。享年19歳。