アドルフ・ヒトラー 372
1889年4月20日 - 1945年4月30日
オーストリア及びドイツ国の政治家、軍人、画家。
文献によってはヒットラー、ヒットレル、ヘトレルとも表記される。
国家社会主義ドイツ労働者党(ナチ党・ナチス党)指導者。ドイツの首相・大統領を兼ねる「総統」として第一次世界大戦後のドイツを拡大政策に導き、ポーランド侵攻(白作戦...-ウィキペディア
私は父を尊敬していたが、母を愛していた。
13歳の時に父が病死し、17歳の時に母も病死したことについて
わたしは建築家になろうとした。
人々がそれに屈服する抵抗はなく、それは粉砕すべき抵抗だった。
わたしは、かつての貧しい村の靴屋の小倅から、官吏にまで成り上がった父の姿を
いつも目に浮かべながら、この抵抗を粉砕しようとした。
私の出発点は父よりも恵まれていたし、戦いの可能性はずっと容易だった。
ヴィーンの美術学校の絵画科の入試に不合格になり
建築家としての才能を自覚して、それに向かい努力しようと決意したことについて。
建築家としての才能を自覚して、それに向かい努力しようと決意したことについて。
5年間、私はそこで非正規労働者となり、次いで零細の画工となり
パンを稼がねばならなかった。
毎日の空腹を抑えるにも十分であったことがない程度のパンを、である。
今日でもなおこの都市は、わたしに悲しい思いを起こさせるだけである。
この奢侈な都市の名声の中で、わたしは五年間の貧困と悲惨の時を過ごしたのである。
この奢侈な都市の名声の中で、わたしは五年間の貧困と悲惨の時を過ごしたのである。
空腹は当時わたしの忠実な用心棒であった。
それはいっときもわたしから離れないただひとりであり、わたしの生活の全てを共にした。
わたしが本を買うごとに、それがざわついた。
歌劇場へ行けば、数日にわたって空腹がわたしの相手をした。
この無情な友との戦いが続いた。
けれどもわたしはこの時期にかつてないほど勉強した。
建築学と、食物を節約してたまにオペラへ行くことをのぞけば、書物だけが唯一の友であった。
建築学と、食物を節約してたまにオペラへ行くことをのぞけば、書物だけが唯一の友であった。
すべての創造的思想というものは、そのようなものが一般に存在する限り
青年期には本来現れるものだと固く信じている。
わたしは人生経験の結果から
「周到で慎重な用心深さの中で発揮される大人の英知」と
「無尽蔵の豊かさで思想や理念が湧き出てたやすく枯れることのない青年の創造性」は
区別すべきものと結論した。
青年の独創性の原野から、賢明な大人が石を切り出し、建物を建てるのである。
いわゆる大人の英知が、青年の独創性を窒息させない限りにおいてだが。
成り上がる際の非常にきびしい闘争が
しばしば同情心を失わせてしまう。
自分の苦しい生存競争が、後に残されたものの悲惨さに対する感情を押し殺すのである。
運命はこの点で慈悲があった。
かつて父が、かれの生涯において、すでに抜け出してきた貧困と不安の世界にふたたび戻し、運命はわたしのプチブル教育の目隠しを取り除いてくれたのである。
いまやわたしは人間をはじめて知り、空虚な外見や粗野な外観と、内部の本質との間の区別を学んだのである。
運命はこの点で慈悲があった。
かつて父が、かれの生涯において、すでに抜け出してきた貧困と不安の世界にふたたび戻し、運命はわたしのプチブル教育の目隠しを取り除いてくれたのである。
いまやわたしは人間をはじめて知り、空虚な外見や粗野な外観と、内部の本質との間の区別を学んだのである。
上から下を見た「研究」は、皮相的な雑談かあやまった感傷性以上のなにものも生まない。
どちらも有害である。
一つは問題の核心まで到達できない。
もう一つについては、「民情に通じようとしている」スカートやズボンを履いた流行マダムの
慈悲深い腰の低さのような、社会的困窮への無関心ほどひどいものをわたしは知らない。
もう一つについては、「民情に通じようとしている」スカートやズボンを履いた流行マダムの
慈悲深い腰の低さのような、社会的困窮への無関心ほどひどいものをわたしは知らない。
社会的活動というものは慈悲を分け与えるものではなく
権利を回復してやるべきものである
なかんづく恩に着せる権利などは決してあってはならない
人々を惹き付けて、残酷にもすり潰してしまうこの大都会に嫌気がさした。
かれらが出てきたときは、まだ国民として数えられていた。
しかし、かれらがとどまれば、やがて国民ではなくなっていく。
たいていいくらかの金を持って大都市に来るから
不運にも長い間仕事がみつからなくても、はじめのうちは絶望する必要はない。
しかし健全な働き場所を短期間で失うと、困ったことになる。
新しい仕事を見つけることは、特に冬は、不可能ではないが大変困難である。
はじめの数週間はなんとかなる。かれは失業手当をもらい、可能な限り切り詰めるだろう。
だが最後の一銭を使い果たし、手当てが止まった時、大いなる困窮がやってくる。
空腹をかかえてうろつきまわり、最後にとっておいた物まで質に入れるか、あるいは売り払う。
肉体的不幸に加えて精神までも冒され、外見も冴えなくなる。
宿もなく、これがもし冬ならば(しばしばそうなのだが)大変につらい。
やがて、ついにかれは仕事をみつける。しかし、まだ失ってしまう。
二度目は同じようなものでも、三度目はもっとつらい経験になりうる。
このようにして、本来勤勉であったかもしれない人間も、人生観を保てなくなり、他人を利用し利用される道具になっていくのである。
この経過をわたしは幾度となく目の前で見た。
不運にも長い間仕事がみつからなくても、はじめのうちは絶望する必要はない。
しかし健全な働き場所を短期間で失うと、困ったことになる。
新しい仕事を見つけることは、特に冬は、不可能ではないが大変困難である。
はじめの数週間はなんとかなる。かれは失業手当をもらい、可能な限り切り詰めるだろう。
だが最後の一銭を使い果たし、手当てが止まった時、大いなる困窮がやってくる。
空腹をかかえてうろつきまわり、最後にとっておいた物まで質に入れるか、あるいは売り払う。
肉体的不幸に加えて精神までも冒され、外見も冴えなくなる。
宿もなく、これがもし冬ならば(しばしばそうなのだが)大変につらい。
やがて、ついにかれは仕事をみつける。しかし、まだ失ってしまう。
二度目は同じようなものでも、三度目はもっとつらい経験になりうる。
このようにして、本来勤勉であったかもしれない人間も、人生観を保てなくなり、他人を利用し利用される道具になっていくのである。
この経過をわたしは幾度となく目の前で見た。
職を得て失い、また就職して、次々に入れ替わると
たいていの者は、正常な金銭感覚が破壊されてしまう。
稼ぎがいい時はあるだけ金を使い
不景気のときには空腹を抱える。
空腹と飢えが理性を破壊していまい、やがて金が入った時にも鬱憤を晴らすかのように浪費してしまう。
不景気のときには空腹を抱える。
空腹と飢えが理性を破壊していまい、やがて金が入った時にも鬱憤を晴らすかのように浪費してしまう。
貧しさ、みじめさ、醜さに、はじめのうちは嫌悪を感じたり、憤慨したりもした。
その後、この苦しい悲劇のすべてを把握し、もっと深い原因を理解しようとして
わたしはこれらの全てを一緒に体験してきた。
これらは悪い社会状態の不幸な犠牲なのだと結論した。
(※投稿者注) 著書の前後部分に具体的な描写が多数
貧しい境遇に落ちた当時、わたしが周囲の人々に絶望しないでいるためには
かれらの生活や行動としてあらわれているものと、かれらが堕落していく原因との
区別を学ばねばならなかった。
絶望せずに全てを耐えていくには、これしかなかった。
現存している悪を人工的に教化するよりも
(これは人間の素質からして99%不可能であるが)
むしろ将来の発展のためにより健全な道を確保することが重要である。
犯罪者を更生させたり、堕落した者を立ち直らせようとするよりも
種の次の世代を担う子供たちや若者のために良い環境を用意すべきだ。
種の次の世代を担う子供たちや若者のために良い環境を用意すべきだ。
社会をより良くするためには
笑うべき無意味な福祉を夢見ることに価値を認めるべきではない。
むしろ各人を堕落に導いたり、誤りに導くような
われわれの経済生活や文化生活の仕組みの中にある根本的欠陥を除去することを
課題としなければならない。
過酷な生存闘争の中でわたしにはこのことがはっきりわかった。
自分がドイツ人かどうかなんて関係ない、妥当な収入が得られる仕事さえあればいい
というようなことを聞いて、何度道徳的憤激を感じたことか。
文化や芸術などあらゆる分野における祖国の輝かしい業績を無数に思い出せることが、かくも恵まれた民族の一員であるという当然の誇りを与えてくれていることを、どれほどの者が理解しているだろうか。
二部屋からなる陰気な地下の住居に、労働者の七人家族が住んでいるとする。
五人の子供の中に、男の子が一人いる。
仮に三歳としておこう。ちょうど物心がつく頃だ。
頭のよい子なら年をとっても、この頃の思い出が残っているものである。
だが、場所の狭さと過密がお互いの関係をまずくして、往々にして争いと不和が起こる。
人々は一緒に生活しているのではなく、むしろ押しあって生活しているのだ。
広い住居にいるなら、ちょっと距離を置いて頭を冷やすことで仲直りできることでも
ここでは果てしない、陰湿な対立として続く。
子供の場合はもちろん、我慢できる。かれらはこういう状態では必ずけんかをするが
互いにすぐけろりと忘れてしまう。
だがこの争いが両親の間で行われ、毎日のように内心の下品さを容赦なくさらけ出すと
こういう情操教育は、必ず子供を蝕んでいく。
父から母に対する暴力、酒を飲んでの虐待となると、子供にあらわれる結果はどうなるか。
こういう境遇を知らない者には、想像すらできないだろう。
6歳になれば、この小さな憐れむべき子供にも、大人でさえ恐ろしいと感じるほどの境遇に自分が置かれていることを知り始める。
公立学校に入るのである。かろうじて読み書きだけは覚えるが、ほとんどそれで全部だ。
家庭で勉強は話題にさえならない。
むしろ逆に、父母は口にするのもはばかられる言い草で、教師と学校について、それも子供たちに向かって悪口を言う。
公立学校に入るのである。かろうじて読み書きだけは覚えるが、ほとんどそれで全部だ。
家庭で勉強は話題にさえならない。
むしろ逆に、父母は口にするのもはばかられる言い草で、教師と学校について、それも子供たちに向かって悪口を言う。
人類に関するよいことは何もかも無視され
制度は攻撃されないことがなく、教師をはじめとして国家元首にいたるまで攻撃される。
宗教についてだろうが、道徳についてだろうが、国家や社会についてだろうが
なにもかも対象になる。
すべてを誹謗し、淫猥な方法できわめて下品な考え方の泥の中に引きこむ。
堕落した人々について
神聖なものは何もなくなり、偉大なものは何も知らず
低俗な生活にだけは敏感で熟知している人間は
これから歩んでいく人生の中でどのような地位につきうるのだろうか。
三文文学やエロ新聞で、毎日毎日、おけから水を流すように民衆に毒が注ぎ込まれる
Плохие книги не только бесполезны, но и вредны.
悪書は無益なだけではなく、有害である。(トルストイ) - 名言録
わたしはパンのために絵を描き、喜びのために学んだ。
そのころ周囲の者は、わたしを変人だと考えていたと思う。
政治関係のあらゆる事柄についても大変興味を持ったが
わたしには大して重要ではないように思えた。
というよりも、一般に理性あるすべての人間の自明の義務であろうと思われた。
政治に対して何の理解力も持たない者は、批判や苦情を言う権利を失っているに等しい。
際限もなく多く読む人、一冊一冊、一字一字読む人々を、わたしは知っている。
けれどもわたしはかれらを博識と呼ぶことはできない。
わたしは「読むこと」をいわゆるインテリゲンツィアの大部分の者とは、おそらくいくらか違ったふうにとらえている。
読書というものは、それ自身目的ではなくて、目的のための手段である。
第一に、読書は各人の素質、能力を引き出し、骨組みを充実させる助けとなるべきものである。
第二に、読書は世界像を形成する素材となるべきものである。
第二に、読書は世界像を形成する素材となるべきものである。
運命が、知識をため込んではいるが無能力な者を国家の指導者に任命したならば
ひどいことになる。
個人の恥をさらすだけならば、まだ我慢できるのだが。
現実を理論の中に位置づけたり、理論を実際に試そうという姿勢をとったため
わたしは、理論の中に窒息してしまったり、現実の中で浅薄化されたりせずに済んだ
頭でっかちにならず、思考停止もせず