荘子 13

?紀元前369年 - ?紀元前286年
中国の戦国時代の宋国の蒙(現在の河南省商丘あるいは安徽省蒙城)に産まれた思想家で、道教の始祖の一人とされる人物である。荘周(姓=荘、名=周)。字は子休とされるが、字についての確たる根拠に乏しい。曾子と区別するため「そうじ」と濁って読むのが中国文学、中国哲学関係者の習慣となっている。...-ウィキペディア

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好んで面人を誉むる者は、また好んで後ろに人をそしる。

「荘子」より

命長ければ恥多し

「荘子」より

宰相と為らずんば、則ち良医と為れ。

「荘子」より

至人は己無し、神人は巧無し、聖人は名無し

「荘子」より

死を視ることの生の若きものは烈士の勇なり、
窮の命あるを知り、通の時あるを知り、
大難に臨めども懼れざるものは聖人の勇なり

「荘子」より

    いってる意味が理解できない∀ - 銘無き石碑

敬を以てする孝は易く、愛を以てする孝は難し。親を忘るるは易きも、親をして我を忘れしむるは難し

「荘子」より

    司馬 - 銘無き石碑

     私は自分で解決できない問題に直面したときや、悩みに包まれたとき
    よく兄に相談する場合が多い。(ここでいう兄は、普段は呑ん兵衛で、多くを語らず泰然自若としており、なかなか本心を明かさないが、ここぞというときには、ハッとするような短い言葉を発し、兄弟姉妹にとって尊敬する人物である。)今回も私の二人の息子のことで、「親の心配や思い遣りを理解しようとしない。逆に『親父、もう子離れしなきゃ』なぞと勝手なことを云いやがって...」との手紙を書いたら、ただ一言「親を忘るるは易きも、親をして我を忘れしむるは難し」(荘子)とだけ書いた返信が届いた。これを読んだ瞬間まさに「我が意を得たり」の感に陥り、さすがにこの兄は造詣?が深いと感じるとともに、自分の不勉強を改めて気付かされたものである。しかし、このままで終わらせるには問題が大きい。と考えこの欄で最検索して、さらなる納得を得たのである。敢えて公表するようなことでもないが、兄の博識に敬意を表すためにこのコメント欄に投稿するものである。 - 老人と鴨
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哀しみは心の死するより大いなるはなく、
身の死するこれに次ぐ

「荘子」より

功を以て人に勝つことなかれ。謀を以て人に勝つことなかれ。戦を以て人に勝つことなかれ

「荘子」より

吾が生や涯りあり、しかして知や涯なし。

「荘子」より

道は小成に隠れ、言は栄華に隠れる。

真の道徳は小さな偏見のために隠れてしまい、真の理論は巧言のために隠れてしまう。「荘子」より

其の俗に入らば、其の俗に従う

郷には入れば郷に従うど同義「荘子」より
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一人で立てた計画は不完全だが、二人で立てた計画はもっとよい。

人生というものは白馬が駆け過ぎるのを壁の隙間から覗くようにあっけなく過ぎるものだ。