貝原益軒 14

1630年12月17日 - 1714年10月5日
江戸時代の本草学者、儒学者。...-ウィキペディア

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人の目は百里の遠きを見れども、その背を見ず。明鏡と雖もその裏を照らさず

「五常訓」より

世俗は耳目口腹の欲をほしいままにするを楽とす

「大和俗調」より

人の礼法あるは水の堤防あるが如し。
水に堤防あれば氾濫の害なく、人に礼法あれば悪事生ぜず。

「大和俗調」より

    悪人には礼法がないから、善人が気に食わない時に善人に悪事を為す。 - 銘無き石碑

君子の財をみだりに用ひずして惜しむは、人に益あることに財を用ひんが為也

「家道訓」より

命の長短は身の強弱によらず、慎と不慎とによれり

「養生訓」より

疑いをひとに問うは、知を求める道なり。
みずから心に道理を思うは、知をひらく本なり。

「大和俗訓」より
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陰徳は耳の鳴るが如し、我の見知りて人知らず。

「五常訓」より

知って行はざるは知らざるに同じ。

「慎思録」より

養生の要は自ら欺くことをいましめて、よく忍にあり。

「養生訓」より

およそ小児の教えは早くすべし。

「和俗童子訓」より

朝早く送るは、家の栄ゆる印なり。遅く送る家は衰えるものなり

「大和俗訓」より
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朋友の間、悪しきことならば面前に言うべし、陰で譏(そし)るべからず。

「益軒十訓」より

食べ物は身を養うに、益あるものを選べ

『養生訓』

知って行なわざるは知らざるに同じ