鷲田清一 6

生 1949年9月2日
日本の哲学者(臨床哲学・倫理学)。京都市立芸術大学理事長・学長、せんだいメディアテーク館長。関西大学文学部教授、大阪大学総長などを歴任した。...-ウィキペディア

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ファッションは行動のスタイルである。だからそのプロセス自体が問題になる。

AERA Mook 17『ファッション学のみかた。』(朝日新聞社,1996)P8

一極集中の名でこの国の中枢のように思われてきた東京は、
じつは暮らしの足腰が最も弱い地域である。
人々の暮らしは、電力、食材、建築材、といったその基盤を、
ほぼ全面的に外部に依存している。
東京ほど非自立的な都市はないのだ。
その脆弱さは、東日本大震災と福島第一原発事故のときに、
水道水が飲めず、コンビニの棚が空になり、
電車が普通になって家に帰ることすらできない人が大量に出たことからもわかる。

日本は人口減少社会に入っています。
そうしたとき、私自身若い人たちにたいへん申し訳なく思っています。
国は1000兆円を超える借金がありながら、いまだ借金を増やしている。
申し訳ない。
経済が回らないと言って将来世代の所得の先食いをし、公共事業をやり続けている。
申し訳ない。

引っ張っていくリーダーではなく、
社会全体への気配りや目配りができ、退却戦もいとわない。
それが今の時代に求められるリーダーだと思います。
「しんがり」を務めるリーダーの役割です。

日本社会全体を効率化することで近代化の道を歩んだということでしょう。
結果、世界一の長寿国になり、インフラも整いました。
その分、いざとなったら自分で引き受けるという市民としての力が落ちてしまった。
もし政治や行政で不祥事が起きたら、
きちんと税金を払っているのに何をやっているのだと追及するだけ。
いわゆるクレーマーにしかなっていません。
いざとなったら自分でやる、その代わり税金は払わない、などとは考えられない。
明治以降の近代化の流れは、市民としての成熟ではなく、
幼児化の流れだったのではないでしょうか。

細かな領域を知っている人が専門家だと思ったら誤解です。
今、特に自然科学の博士論文のタイトルを見ても何を言おうとしているのか
想像もできません。
本来、博士号はどのような問題であっても、
その専門分野を基にして合理的・科学的な答えを出すというものでした。
細分化され隣の畑で使えないなら博士号は意味がない。
どんな問題を与えられても一緒に考えてくれる人、
それが本来の専門家だと思います。

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