デール・カーネギー 120

1888年11月24日 - 1955年11月1日
アメリカの作家で教師にして、自己開発、セールス、企業トレーニング、スピーチおよび対人スキルに関する各種コースの開発者。ミズーリ州の貧しい農家に生まれ、今日でも支持の高いベストセラー『人を動かす』(1936年...-ウィキペディア

なぜ愛犬をしつける時に用いるのと同じ方法を、
人間に応用しないのだろう。
なぜ鞭の代わりに肉を、批評の代わりに賞讃を用いないのだろう。

我々はお互いに尊重しあうべきだ。
どのみち誰も大した人間ではないのだから。

誰も議論に勝つことはできない。
もし失敗したらそれは失敗なのだし、
勝ったと思い込んで気をよくしてみても、
相手は心に自分の意見を持ち続けることができるから、
やはり結局、
相手の意見をやっつけて消しさることに失敗しているのである。
お互いに憤慨しあう結果になるだけである。


    カーネギーは頭がいい。 - 銘無き石碑

    対話において
    日本語で言うところの「議論」や「討論」や「言い争い」などの区別はするべきだと思う。
    「議論」jとは、うまくいけば全員が勝者となり
    うまくいかなければ全員が敗者となる - 銘無き石碑

    さすがデールさんと言わねばならない - 銘無き石碑

    さすがデールさんと言わねばならない - 銘無き石碑

議論に勝つ方法があるとすれば、それは一つしかない。
それは議論から逃げることだ。
毒物や地震を避けるように、議論を避けるのだ。

現代生活はあまりに忙しい。
さっさと言うべきことを言って、
そこで話をやめて、
場をゆずって帰る方が良い。

人から押しつけられた意見よりも、
自分で思いついた意見の方を、
我々は大切にするものである。
とすると、人に自分の意見を押しつけようとするのは、
そもそも失敗だと言える。

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人を動かす秘訣は、この世に、ただ一つしかない。
すなわち、みずから動きたくなる気持ちを起こさせること。
これが秘訣だ。
重ねて言うが、これ以外に秘訣はない。
もちろん、相手の胸にピストルを突きつけて、
腕時計を差し出したくなる気持ちを起こさせることはできる。
従業員をクビでおどして、協力させることもてきる。
鞭やおどしで子供を好きなように動かすこともできる。
少なくとも、監視の目を向けている間だけは…。
しかし、こういうお粗末な方法には、好ましくない跳ね返りがつきものだ。
人を動かすには、相手の欲しているものを与えるのが、
唯一の方法なのである。
この事実に気づいている人は甚だ少ない。

大多数の人間は理性の生物ではない。
感情に動かされやすく、偏見に満ち、
自負心に動かされて行動している動物である。
人間を相手にする時は、常にこのことを忘れないことだ。

目つき、口ぶり、身ぶりなどでも、
相手の間違いを指摘することはできるが、
これは、あからさまに相手を罵倒するのと何ら変りない。
そもそも、相手の間違いを何のために指摘するのだ?
相手の同意を得るために?
とんでもない。
相手は、自分の知能、判断、誇り、自尊心に、
平手打ちを食らわされているのだ。
考えを変えようなどと思うわけがない。
当然、打ち返してくる。


    人を大事にしよう。すべての気持ちです。 - 銘無き石碑

    たとえ自分の知能、判断、誇り、自尊心に平手打ちを食わされようと、
    そしてその屈辱に対する不快感を露にしようと、
    それでも真に知性のある者は話の重要な要点を見失わない。 - 銘無き石碑

    平手打ち合戦に重要もくそもねえな
    やらなくていいことだ - 銘無き石碑

子供の大望を聞いて笑ってはいけない。
子供にとって、笑いはからかいを意味することが多く、
からかいほど心を苦しめるものはない。
子供が身のほど知らずの大望について語る時に、親のなすべきことは、
その大望についてあらゆる観点から、よく話し合ってやることだ。
そしてできることなら、
どうすればその目標に成功する望みをもって近づけるか、
その方法を助言してやることだ。


    僕の夢は笑われたよ、『小説家になりたい』と言ったらね。親を謗りたくはないけど‥カーネギー氏のような言葉が欲しかったよ - 銘無き石碑

    デール・カーネギーのこのような考え方は、親の立場として子供の真の成長をより良く『促す』ものではあるが、
    子供の運命を決定付ける程のものではない。
    「やってみたい事」 と 「やりたい事」 は違う。
    本当に強い願望というものは、成就するまで行動を止めることなど出来ないものだ。
    人に馬鹿にされたくらいで潰えるような望みなどは、他の理由でもたやすく挫折してしまうだろう。
    - 銘無き石碑

    http://sekihi.net/stones/15116
    - 銘無き石碑

最悪の事柄を受け入れてしまえば、もはや失うものはなくなる。
裏を返して言えば、どう転んでも儲けなのだ。

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大抵の者は、自分でも思いがけないほどすばらしい勇気を持っている

楽しそうに振舞っていると、いつか本当に楽しくなる。
物事に熱中するにはこの手に限る。

人間は逃げ場がなくなれば、不幸と災難に耐えぬき、それを克服することができるものだ。

未来の恐怖と戦う方法は簡単である。「なぜ恐ろしいのか」という理由を一つひとつ考えて見れば、こわさも薄れてくる。
最悪の事態がどの程度のものかわかれば、怖がることもなくなる。

本当に勇気があるかのように振舞う。こうすれば元気が出てきて、
「自分だってあれくらいのことはできるのだ」という気になるから妙だ。

恐怖を克服する決心をしさえすれば、たいていの恐怖は克服できる。
恐怖は人の心の中にしか存在しないからだ。

ただ自分のことを忘れさえすればよい。
「こういう風に見て欲しい」という気持ちを忘れさえすればよい。

機会を逃すな! 人生はすべて機会である。

度胸が欲しければ、恐ろしくて手が出ないことに挑んでみることだ。
これを欠かさずやり続けて、成功の実績を作るのだ。

恐怖心を克服するには、どんな手順で行動するか前もって計画し、
その通りに実行すればよい。

大抵の者は、自分でも思いがけない程、素晴しい勇気を持っている。

とてもできそうもないと思える事柄でも、思い切ってぶつかることだ。
恐怖心はあっという間に溶け去るだろう。

恐怖と悩みを克服するには、脇目もふらずに働くことだ!

恐怖心を克服するには、その存在を無視すればよい。