荀子 18

紀元前313?年 - 紀元前238年
中国の戦国時代末の思想家・儒学者。諱は況。尊称して荀卿とも呼ばれる。漢代には孫卿とも呼ばれた。...-ウィキペディア

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人の性は悪、その善なるものは偽りなり

「荀子」より

    「人の性は良心、その本姓は明なり。」大人になるほどくらくなり、赤子になるほど明るい。このだれもが知っていることを念頭に考えれば、当然に人の性は善と決められなくても、少なくとも悪ではない。同じ時代に生きた孟子は性善説をとり、聖人とされる。荀子のこの言葉をよしとする者は愚か者である。もしその人の善なるものが偽りであったならば、まだ見えないところが隠れている。現代においては西洋かぶれしているといえる。 - warau1943

    「偽り」じゃなくて「偽(ぎ)」では?
    人為と偽りじゃ意味合いが違ってくるかと…
    - 銘無き石碑

人の本性は不定なり。一つの所を渦まく水のごとし。
東の方へ切り開けば水は東方へ流れ、西片に切り開けば西片に流れる

「荀子」より

人の本性は、・・その本性に従えば譲らず、譲れば本性に逆らう。
それゆえ、人の本性が悪になることは明白であり、善は後天的な仕業なり。

「荀子」より

勢は人の上に在らざるに而も人の下と為ることを羞ずれば、是れ姦人の心なり

「荀子」より

君子は物を役し、小人は物に役せらる

「荀子」より

死を軽んじて暴なるは、これ小人の勇なり。死を重んじ、義を持たしてたゆまざるは、これ君子の勇なり

「荀子」より
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富を欲するか。恥を忍べ、傾絶せよ。故旧を絶ちて、儀と背け。

「荀子」より

自ら知るものは人を怨まず

「荀子」より

青は藍より出て藍より青し。

弟子はしよりまさるの意「荀子」より

学問は飛耳長目の道。

飛耳長目は遠方の見聞「荀子」より

上学は神で聴き、中学は心で聴き、下学は耳で聴く。

最上の修学態度は精神を込めて聞き、中等のそれは心にとめて聞き、最悪のそれは耳に入れるだけである。「荀子」より
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小人の学は耳より入り手口より出ず。口耳の間はわずかに四寸のみ。何ぞ以て七尺の躯を美とするに足らんや。

「荀子」より

名を盗むは、貨を盗むに如かず。

名声を盗むのは金を盗むことと同じだ。「荀子」より

源清ければ則ち流れ清。

「荀子」より

治人有れども、治法無し。

国を治める人間があるが、国を治める方というものは、元来あるべきものではない。「荀子」より

流言は智者に止まる。

うわさというものは、一般には伝わっていくが、聖者は黙して伝えない「荀子」より

道近しといえども、行かざれば至らず

其の子を知らざれば、其の友を視よ(その子の人柄を知らないのなら、友人
を見ればおのずと分る。友人の質によってその人の善悪も判断できる)

『荀子』その23「性悪」より