0 コメント数 シェア 我々のあらゆる社会的生活は今日、性的想像と性に対する刺激の温室に似ている。 陳列窓も、広告塔も、群集の注意を惹き付けるために、きわめて低級な手段を使って努力が払われている。 5 タグ
0 コメント数 シェア この世界は力に満ちた「完全な人」のものであり、弱々しい「中途半端な人」のものではない。 もし、自己の健康のために闘争する力がもはや存在していないとするならばこの闘争の世界において生きる権利は消滅する。 4 タグ
0 コメント数 シェア ある時代の、そしてまたその時代の人々の創作物が、卑しく、みじめであればあるほど、それだけ以前の時代のより偉大な高尚さと、品位の証人は憎まれるのだ。 かれら自身がだたけがらわしい作品を生産したばかりではなく、おまけに過去のあらゆる真に偉大な作品が、かれらによって冒涜されたのである。 5 タグ
0 コメント数 シェア あらゆる真に価値ある人類の革新は、過去の世代が残したすぐれた成果に、無遠慮にも結びつくことができる。いやそれどころか、しばしばかつての成果を、はじめて一般に認めさせるよう努力するのである。 そうした革新は、過去と比較されて、色あせてしまうことを、少しも恐れる必要がなく、進んで、人類文化の共有財産に非常に価値のある貢献をするのである。 7 タグ
0 コメント数 シェア 革命的な新しい運動は、それ自身が劣等であればあるだけ、ますます古い政治形態を憎むものである。 この場合でも、自分のまがいものを、なにか注目すべきものと見せかけたい一念が、過去のより優れたよいものを盲目的に、憎悪するにいたらせる。 4 タグ
0 コメント数 シェア 太陽の光が消えた後、はじめて月は輝くことができる。したがって、あらゆる人類の新月連中が恒星たちを憎むのは明白過ぎるくらい明らかなことである。 このような能無し連中が、運命によって一時的に権力に恵まれる場合、疲れを見せることなく熱心に過去を冒涜し、汚すばかりでなく、さらに皮相な手段でもって、自分自身を一般の批判から免れさせようとするのが常である。 6 タグ
0 コメント数 シェア ある新しい理念、教義、新世界観、あるいはまた政治的、経済的運動が過去全体を否定しようと努めたり、中傷したり、価値のないものに見せようとしている場合には、この動機からしてすでに極度に用心して、信用しないようにしなければならない。 多くの場合、このような憎悪の理由はただ自分の低劣あだけにか、さもなくばまた悪意そのものにあると考えられる。 4 タグ
0 コメント数 シェア すでに存在している真理を利用するのを恥じる必要はない。 なにしろ、人類の全文化も人間自身も、それぞれの世代がめいめいの建築石材を運び、つぎ合わせていった、ただ一つの長い発展の結果であるにすぎないからである。 6 タグ
0 コメント数 シェア わが国の今日における大都市プロレタリアートが、その住所とほとんど結合感を持たないのは、大都市では個人の偶発的な滞在場所だけしか現実に問題にならず、そしてそれ以上のなにものでもないことから生ずる結果である。 十九世紀になって、わが国の都市はますます文化の所在地としての性格を失いはじめ、単なる人間の居住地に下落しはじめた。 7 タグ
0 コメント数 シェア わが国の大都市は、今日、都市の印象を左右し、とにかく全時代の記念物といわれるような記念碑的作品をもっていない。しかし、このようなものが、古代の諸都市には見られたのであり、それらはほとんど、それぞれ誇りとすべき特別の記念建築物をもっていた。 9 タグ
0 コメント数 シェア 今日、国家建築と私有建築の関係は、じつに、なんとひどいものになったことか。ローマの運命がベルリンを襲ったと仮定してみよう。そうすれば、子供たちは将来いつの日にか、われわれの時代のもっとも巨大な工事として、二、三のユダヤ人が持つ百貨店や、いくつかの会社が経営するホテルを挙げ、われわれの時代の文化を特徴的に表すものとして、驚嘆することだろう。 今日、われわれが古代の世界の廃墟や荒廃した野原の中に、わずかではあるがなおそびえている巨大なものを見て、驚嘆するのは、昔の営業のための立派な建物ではなく、寺院や国家の建築物であった。 4 タグ
0 コメント数 シェア この人間の世界で、教義なくして、宗教的信仰が実際に続くものとは考えられない。国民大衆は哲学者の集合ではない。 しかも、まさにこの大衆にとっては、しばしば、信仰は倫理的世界観の唯一の基礎なのである。 7 タグ
0 コメント数 シェア 幾十万のすぐれた人々は、なるほど、そのようなものがなくても、理性的に、賢明に生きてゆけるとしても、しかし、他の幾百万の人々にはまったく欠くことのできないような、その時々の生活様式が一般生活に対してもっているものこそ、国家にとっては国家原理であり、その時々の宗教にとっては教義なのだ。 宗教的教義と信仰が、あらゆる社会層を確実にとらえねばならぬというのなら、この信仰内容が絶対的な権威をもっているということが、あらゆる効力の基礎であるのだ。 7 タグ
0 コメント数 シェア 今日、しばしば、ドイツの議会政治は「革命以後無能になった」といわれているのを聞くが、このことは、無思慮の一例である。その言葉によって、まるで、革命の前はなにかそんなではなかったかのように、ややもすれば受け取られてしまう。 現実には、この議会という制度は、まったく破壊的にしか機能しない 4 タグ
2 コメント数 シェア 宣伝を賢明に、継続して使用すれば、国民に天国を地獄と思わせることもできるし、逆に、きわめてみじめな生活を極楽と思わせることもできる。 4 タグ 日本ですね。わかります。 - 銘無き石碑 2012-11-28 14:20:36 UTC 大多数はそうかもね。でも、騙されない人はいるよ。 - 銘無き石碑 2021-12-28 23:08:46 UTC
0 コメント数 シェア 人々は君主に十分な食事をもちろん喜んで差し上げたし、また、君主におよそ必要な睡眠時間を妨げようなどとは夢にも望まなかった。人々はただ君主がいつも個性をもった人間として、自分の一門の名前と国家に名誉をもたらし、支配者としての義務を果たしさえすれば満足していた。 激務、勤勉、庶民的などといったおとぎ話を語るのは、ほとんど無益であるばかりか、かえって、よりいっそうの損害を与えたのだ。 5 タグ
0 コメント数 シェア ドイツの国家官吏は、とかく、官僚主義的で、旧式だと陰口をたたかれもしたが、他の国々では、それだからといって、よりましだったわけでもない。そればかりか、もっと悪かったのだ。 その頃のドイツ官僚と行政の際立った特徴は、それらが個々の政権から独立していたことであった。それら政府の、その時々の政治的意向は、ドイツ国官吏の地位になんの影響も与えることがなかった。革命後は、もちろんこのことは根本的に変わってしまったのである。知識と能力の代わりに、党派的見地が現れ、自主的、独立的な性格は、なにかを促進するというより、むしろ妨害するものになってしまった。 5 タグ
1 コメント数 シェア コロンブスの卵は幾百千となくそこらに転がっているのであり、ただコロンブスのような人々には、まったくまれにしかお目にかかれぬだけである。 人間は例外なしに自然の園を歩き回り、ほとんどあらゆることを見知っており、理解していると思い込んでいる。 4 タグ 名言の投稿が出来ねぇ‥審査して落としても構わねぇから投稿くれーはさせろ - 銘無き石碑 2011-03-03 05:58:27 UTC
0 コメント数 シェア より強いものは支配すべきであり、より弱いものと結合して、そのために自分のすぐれた点を犠牲にしてはならない。ただ、生まれつきの弱虫だけが、このことを残酷だと感じるにすぎない。 なぜならば、この法則が支配しないとしたら、あらゆる有機的生物に可能と思われる進化が、まるで、考えられなくなるに違いないからだ。 5 タグ
0 コメント数 シェア 劣等なものは最も優れたものを、いつだって数では圧倒するものだ。平等な繁殖の権利を与えたならば、より劣等なものは素早く増殖して、ついに、最も優れたものは押し退けられてしまうに違いないのだ。 4 タグ