0 コメント数 シェア 感激は陶酔であり、そしてその状態でずっと維持すべきだ。 人々は感激というものが一度くだけたら、もはや必要に応じて目覚めさせることができないということに、少しも気づかなかった。 5 タグ
1 コメント数 シェア 精神的な裏付けのない暴力によって、教説やその組織的成果を根絶しようとする試みはほとんどすべて失敗する。 露骨な暴力という武器をもってする闘争方法の第一前提は、堅忍さということにある。それは、ある教説などを抑圧するためにはその方法をたえず一様に適用した場合にだけその意図を達成する可能性があるということだ。暴力が動揺して寛大な態度に変わるやいなや耐え忍び苦難を乗り越えた憤激が、古い教説に新しい支持者を導き前からの信奉者はまずます大きな反抗心と、より深い憎悪をもってこれを支持しそのうえすでに分散してしまった変節者も危険が除かれるとふたたび古い立場に復帰しようとして結局この教説は迫害されることで価値を増すのだ。 3 タグ 名言の投稿が出来ねぇ‥審査して落としても構わねぇから投稿くれーはさせろ - 銘無き石碑 2011-03-03 05:59:37 UTC
0 コメント数 シェア 国家の権威とか、安全保障や社会秩序などという空虚な概念は本気の生存競争における精神的支柱としてはもろすぎる。 ヒトラーは、(狂信的な)強い信念を持つ人々を打倒するためには、同等以上の強い信念が必要だと考えた。ヒトラーは主に共産主義者とユダヤ人を狂信的な人々とみなしていた。共産主義者は国際的連帯を唱えるなどして国を弱くする、ユダヤ人は自らの民族の利益だけを考えている(社会の多数派であるドイツ人は愚直にも国際協調やら社会全体の利益を考慮しているのに!)、とヒトラーは考えた。今までの政府が彼らを弾圧しても徹底できずに、彼らの勢力は健在かむしろ伸びていったのは、経済的利益や社会の安全といった命を賭けるに値しない弱い動機のために失敗したのだ、としている。確固たる信念の裏付けがなかったからだと。そこでドイツ人が持つべきだとヒトラーが提案する信念は、この世は民族同士の仁義なき戦場であるという世界観と、だから自らの民族の利益だけを考えよ、ということである。この信念はヒトラーの目に映ったユダヤ人の姿に似ている、かもしれない。 8 タグ
0 コメント数 シェア あらゆる政治的出来事を注意深く追求したさいにわたしは以前からずっと宣伝活動にたいへん興味をもっていた。 宣伝を正しく利用するとどれほど巨大な効果を収めうるかということを、人々は戦争(第一次世界大戦)の間にはじめて理解した。 5 タグ
0 コメント数 シェア 宣伝は手段であるか、目的であるか、ということについて人々はまったくわかっていなかったらしい。宣伝は手段である。したがって目的の観点から判断されねばならない。 第六章 戦時宣伝 より 8 タグ
0 コメント数 シェア 愛国心、それは、今日あらゆる反対意見があるにもかかわらず、存在しており、もっとよくいえば存在していなければならないものである。 それを持たぬ民族は、自由と独立を早晩失うのが常だ。 3 タグ
0 コメント数 シェア 残酷きわまる武器も、それがより迅速な勝利をもたらすならば、人道的である。 ヒューマニティの問題については、モルトケがすでに次のようなことを言っている。戦争のさいにはつねに行動の簡潔さの中にヒューマニティがある。それゆえ最も激烈な戦闘方法がたいていそれに適するのだ、と。 5 タグ
0 コメント数 シェア 宣伝はその内容上、学術的ではない。それはポスターがその表現自体およそ芸術ではないのと同じである。 ポスターの技術は、形や色によって大衆の注意をいかに引きつけるか、にある。 6 タグ
0 コメント数 シェア 宣伝の課題は大衆の注意を喚起することである。学識がある者や、教養を求め洞察を得るために努力している者らを教化することではない。したがって、その作用は常に感情により多く向かい、いわゆる知性に対しては大いに制限しなければならない。 宣伝の意義は、まず大衆の視野にまでずらされねばならない。 7 タグ
0 コメント数 シェア 宣伝はすべて大衆的であるべきであり、その知的水準は対象の中で最低級の者がわかる程度に調整すべきである。 それゆえ獲得すべき大衆の人数が多くなればなるほど、純粋の知的レベルはますます低くしなければならない。 9 タグ
0 コメント数 シェア 宣伝において学術的な不純物が少なければ少ないほどそして大衆の感情を考慮すればするほど、ますます狙った効果を上げることができる。これが宣伝が正しいかどうかの最良の証拠であり二、三の美学青年を満足させたかどうかではない。 知的に高い前提を避けるという注意はいくらしても十分すぎることはない。 6 タグ
0 コメント数 シェア 大衆の受容能力は非常に限られており、理解力は小さいが、そのかわりに忘却力は大きい。 宣伝に学術的な留保や多様性を与えようとするのは間違いである。要点を絞り、スローガン化して、継続的に繰り替えさねばならない。 7 タグ
0 コメント数 シェア 第一次世界大戦でオーストリアやドイツの漫画宣伝がやったように相手を嘲笑したものは、根本的に誤りであった。 実際に遭遇してみると、たちまち相手の人々に関してまったく異なった信念を持たねばならなかった。ドイツ兵が敵の抵抗を直接体験して、いままで自分たちを啓蒙してくれたものにだまされたと感じそして自己の闘争欲やあるいはまた確固たる心がまえを強化するのと反対のものが、はいってきたからだ。気後れがしたのだ。 6 タグ
0 コメント数 シェア 大衆は外交官から成り立っているのではなく、また国法学者から成り立っているのでもなくまったく純粋に理性的判断などできぬ、動揺して疑惑や不安に傾きがちな人類の子供たちから成り立っている。 民衆の圧倒的多数は、冷静な熟慮よりもむしろ感情に任せて考え方や行動を決めるという女性的な素質を持ち、女性的な態度をとる。 6 タグ
0 コメント数 シェア すべての広告は、商売の分野でも、政治の分野でも継続とその利用のむらのない一貫性が成果をもたらすのだ。 はじめはかれらの主張のあつかましさに、常軌を逸しているように思えたがその後、不愉快になり、最後には信ずるようになった。四年半後にドイツに革命が起こった。その時のスローガンは敵の戦時宣伝から出ていた。 5 タグ
0 コメント数 シェア わたしがついこの間までひどく心配していた自分の将来についての考えなどはいまや笑わずにはおられなかった。こんな土台の上に家を建てようなどとは、笑わずにおられようか? 第一次世界大戦での敗北後、野戦病院にて政治家を目指すと決心した事について。「心配していた」のは、前線で毒ガス攻撃を受けて失明寸前に追いやられ、画家として生きるのが絶望的だと思われたこと。 6 タグ
0 コメント数 シェア 自分が無名の人間として、何か目的に適った行動をとるためのわずかな前提さえ持っていないことを、平凡に確認するだけであった。 政治家を志した直後、国家社会主義ドイツ労働者党(ナチス)に参加する前の時期について 3 タグ
0 コメント数 シェア 絶対的真理の代わりに、いわゆる「合目的性」とか「現実性」とかを考慮しようとするやいなやかれの仕事は探索する人類の北極星たることをやめその代わりに平凡な処方箋になってしまう。 4 タグ
0 コメント数 シェア 綱領立案者の意義は、その目標の実現によってはかられるのではなくその目標の正しさや、それが人類の発展におよぼした影響ではかられるのである。 でなければ宗教の創始者はこの世で最も偉大な人間として数えられてはならないことになる。なぜなら、かれらの倫理的意図の実現は、完全に近いものにすらなりえないからである。愛の宗教すらその効果においては、その崇高な創始者の願望のかすかな反照にすぎない。だがその意義は、愛を一般的人間的な文化や人倫やモラルを発展せしめようとする方向にあるのである。 5 タグ