0 コメント数 シェア 熟慮の末に決断したわけでもない政策を正すことは、単に正しい行為であって、先帝の名誉を汚すことではない。 塩野七生 『ローマ人の物語40 キリストの勝利 [下]』(新潮文庫,2010)101p 2 タグ
0 コメント数 シェア 息子の嫁。 あらゆることは一切、わたしはやる暇がないから、姑を持ったなんて思うな。そのかわり年に一回、息子と二人だけで食事をさせてくれ 現代ビジネス 瀬戸内寂聴vs塩野七生「人生を語ろう、愛を語ろう!」(gendai.ismedia.jp)より。 7 タグ
0 コメント数 シェア わが日本にいちばん求められているのは、背筋をピシッとすることじゃないでしょうか。 現代ビジネス 瀬戸内寂聴vs塩野七生「どうやって死にましょうか」(gendai.ismedia.jp)より。 4 タグ
0 コメント数 シェア 「永遠の都」 真の前衛とは、古人とひざつきあわせて対話することを馬鹿にせず、それを怖れない田舎者的心情の持ち主によって、創造されるものではないであろうか 塩野七生 『イタリアからの手紙』(新潮文庫,1996)38p 4 タグ
0 コメント数 シェア 「カプリ島」あるイタリア人の友人 きみは金持でないから仕事するのだ。もし金持だったら、カプリに別荘でも買って、そこで終日、サラセンの海賊のことを書いた本でも読んで過すだろうさ 塩野七生 『イタリアからの手紙』(新潮文庫,1996)152p 5 タグ
0 コメント数 シェア 「マフィア」ガソリン係… タイヤ係… 自動車レースの醍醐味は、爆音に包まれて疾走する車を見るのではなく、張りつめた緊張の中を、一糸乱れぬ統制で動く、ガソリン係やタイヤ係の男たちと、彼らとレーサーとの間に交わされる、短く無駄のない、矢のような言葉を聞くことにある、と私は思っている。 塩野七生 『イタリアからの手紙』(新潮文庫,1996)193p 3 タグ
0 コメント数 シェア 「読者に」ウフィッツィ美術館にて はじめて見る芸術作品の傑作の数々を前にして、私は、感動するよりも何よりも、存在しうるかぎりの神々に誓った。死んでも作品の解説はしない、と。 塩野七生 『ルネサンスとは何であったのか』(新潮文庫,2008)10p 1 タグ
0 コメント数 シェア 「第一部 フィレンツェで考える」 見たい、知りたい、わかりたいという欲望の爆発が、後世の人々によってルネサンスと名づけられることになる、精神運動の本質でした 塩野七生 『ルネサンスとは何であったのか』(新潮文庫,2008)14p 2 タグ
0 コメント数 シェア 「第一部 フィレンツェで考える」 敵対関係がつづけばつづくほど、当初は手段であったものが目的と化してしまう。 塩野七生 『ルネサンスとは何であったのか』(新潮文庫,2008)60p 2 タグ
1 コメント数 シェア 「第一部 フィレンツェで考える」 時代の区分とは、ある時点で線を引いて、ここまでは中世でこれより後は近代、と断定できるものではないのです。 塩野七生 『ルネサンスとは何であったのか』(新潮文庫,2008)66p 4 タグ この考え方に賛成です。特に中世、近世、近代、現代という用語は、各国地域によってもその時代の考え方が異なります。ということは、近代を構成する何らかの要素・事象がそれを規定するためではないでしょうか?ですから、その要素・事象が続く限りにおいて、その時代は終わりえない。しかし、新たな事象が出てくるとまた新しい時代区分を称する言語が必要となってくるということではないかと考えられます。 - ジャラン 2012-08-10 19:09:24 UTC
0 コメント数 シェア 「第一部 フィレンツェで考える」 人間とは、見たくないと思っているうちに実際に見えなくなり、考えたくないと思いつづけていると実際に考えなくなるものなのです。 塩野七生 『ルネサンスとは何であったのか』(新潮文庫,2008)75p 2 タグ
0 コメント数 シェア 「第一部 フィレンツェで考える」 言語には、他者への伝達の手段としてだけではなく、言語を使って表現していく過程で自然に生れる、自分自身の思考を明快にするという働きもある。 塩野七生 『ルネサンスとは何であったのか』(新潮文庫,2008)77p 4 タグ
0 コメント数 シェア 「第一部 フィレンツェで考える」 言論の自由とは、ただ単に言論を職業にしている者に対してのみ意味をもつものではない。他のあらゆる自由の「母」でもあるのです。 塩野七生 『ルネサンスとは何であったのか』(新潮文庫,2008)82p 4 タグ
0 コメント数 シェア 「第一部 フィレンツェで考える」 精神運動とは、それがルネサンスであれ何であれ、世の中が激しく動いている時代に生れるものです。政治の成熟とは、これとは反対に、世の中が落ちつくことを目的にしそれを実現することにある。 塩野七生 『ルネサンスとは何であったのか』(新潮文庫,2008)91p 2 タグ
0 コメント数 シェア 「第一部 フィレンツェで考える」 人間とは、あらゆる現象を説明できる原理の探求には常に魅了されるものなのですね。 塩野七生 『ルネサンスとは何であったのか』(新潮文庫,2008)122p 2 タグ
1 コメント数 シェア 「第一部 フィレンツェで考える」 宗教とは信ずることであり、哲学は疑うことです。 塩野七生 『ルネサンスとは何であったのか』(新潮文庫,2008)123p 6 タグ コレは良く出来てる - 銘無き石碑 2011-10-03 20:15:22 UTC
0 コメント数 シェア 「第一部 フィレンツェで考える」 観念論は、別の観念論で向ってこられると、以外に弱いものなのですよ。 塩野七生 『ルネサンスとは何であったのか』(新潮文庫,2008)125p 2 タグ