0 コメント数 シェア 「第一部 フィレンツェで考える」 完成とは、あるところまではやったがそれ以上のことはあきらめたから、できることでもあるんですよ 塩野七生 『ルネサンスとは何であったのか』(新潮文庫,2008)134p 3 タグ
0 コメント数 シェア 「第二部 ローマで考える」 キリスト教会くらい、時代の流れに柔軟に対応してきた組織もないのですよ。 塩野七生 『ルネサンスとは何であったのか』(新潮文庫,2008)149p 5 タグ
0 コメント数 シェア 「第二部 ローマで考える」 庶民とはなぜか、自分たちには手のとどかない贅沢を好む。憧れるとしてもよい。 塩野七生 『ルネサンスとは何であったのか』(新潮文庫,2008)150p 4 タグ
0 コメント数 シェア 「第二部 ローマで考える」 おとなしく注文をこなしているだけならば、「アルティジャーノ」(職人)でしかない。「アルティスタ」(芸術家)は、注文を逆手に使って自分の創りたいものを創り出す人のことです。 塩野七生 『ルネサンスとは何であったのか』(新潮文庫,2008)151p 7 タグ
0 コメント数 シェア 「第二部 ローマで考える」 レオナルドはどこにいようとレオナルドであれたと思うけど、ミケランジェロは、ローマにいたからこそミケランジェロに成りえた 塩野七生 『ルネサンスとは何であったのか』(新潮文庫,2008)178p 5 タグ
0 コメント数 シェア 「第二部 ローマで考える」 実作者が実作者に捧げる賛辞の最高は、やれやれ死んでくれていてよかった、なのですよ 塩野七生 『ルネサンスとは何であったのか』(新潮文庫,2008)180p 3 タグ
0 コメント数 シェア 「第四部 ヴェネツィアで考える」 文化の創造とは、いかに優れた資質に恵まれていても、純粋培養ではできないのです。 塩野七生 『ルネサンスとは何であったのか』(新潮文庫,2008)235p 5 タグ
0 コメント数 シェア 「第四部 ヴェネツィアで考える」 レオナルド・ダ・ヴィンチの書き遺した文章に至っては、その多くが、キミという呼びかけを使って書かれている。レオナルドが言った「キミ」にならないで、何でレオナルドが理解できるのでしょう。 塩野七生 『ルネサンスとは何であったのか』(新潮文庫,2008)240p 3 タグ
0 コメント数 シェア 「第1章 頭の良い男について」 「頭の良い男」とは、なにごとも自らの頭で考え、それにもとづいて判断をくだし、ために偏見にとらわれず、なにかの主義主張にこり固まった人々に比べて柔軟性に富み、それでいて鋭く深い洞察力を持つ男、ということになる。 塩野七生 『男たちへ』(文春文庫,1993)14p 1 タグ
0 コメント数 シェア 「第1章 頭の良い男について」 日本では、教育はあっても教養のない男(これは女でも同じだが)は、まったくはいて捨てるほど多い。 塩野七生 『男たちへ』(文春文庫,1993)14p 1 タグ
0 コメント数 シェア 「第2章 イタリア男、イギリス男に圧倒されるの巻」 「遊び」だって、伝統を背にしているという自信があるから、大胆にやれるのだ。 塩野七生 『男たちへ』(文春文庫,1993)26p 5 タグ
0 コメント数 シェア 「第2章 イタリア男、イギリス男に圧倒されるの巻」 衣装とは、洋の東西を問わず、装うものであって装われるものではない。 塩野七生 『男たちへ』(文春文庫,1993)26p 3 タグ
0 コメント数 シェア 「第3章 古き皮袋に新しき酒を」 派手な色を使ったからといって、華やかになるとはかぎらないのだ。要は、使い方なのだから。 塩野七生 『男たちへ』(文春文庫,1993)29p 2 タグ
0 コメント数 シェア 「第3章 古き皮袋に新しき酒を」 「真剣」にジーパンをはいている男など、「真剣」に背広を着ている男とまったく同じに、こっけいそのものではないか。 塩野七生 『男たちへ』(文春文庫,1993)34p 4 タグ
0 コメント数 シェア 「第3章 古き皮袋に新しき酒を」 ジーパンの似合う男が必ずしもタキシードも似合うとはかぎらないが、タキシードの似合う男は、絶対にジーパンの似合う 塩野七生 『男たちへ』(文春文庫,1993)34p
0 コメント数 シェア 「第3章 古き皮袋に新しき酒を」 遊びは、ヴァリエーションを愉しめるところにしか存在しない。つまり、選択の自由が愉しめるところにしか、存在しないのである。 塩野七生 『男たちへ』(文春文庫,1993)34p 1 タグ
0 コメント数 シェア 「第4章 再び、皮袋に新しき酒を」1960年代のローマにて この街を行く日本の殿方たちは、いずれもチャコール・グレイ(当時の日本では猫もしゃくしもこの色を着ていた)の背広に白いワイシャツ姿。これではまるで、ドブネズミの一群が行くのと変わりません。 塩野七生 『男たちへ』(文春文庫,1993)37p 5 タグ
0 コメント数 シェア 「第5章 嘘の効用について」 嘘を有効につくことは、真実さえ言っていればよいのと違ってたいへんに頭の良いことが要求されるのだ。 塩野七生 『男たちへ』(文春文庫,1993)42p 3 タグ
0 コメント数 シェア 「第5章 嘘の効用について」 嘘とは、真実を言っていては実現不可能な場合に効力を発揮する、人間性の深い洞察に基づいた、高等な技術の成果なのである。 塩野七生 『男たちへ』(文春文庫,1993)42p 3 タグ
0 コメント数 シェア 「第5章 嘘の効用について」 嘘をついたという理由だけで叱るようでは、子供の頭脳の正常な発達を阻害するだけであろう。 塩野七生 『男たちへ』(文春文庫,1993)43p 3 タグ
0 コメント数 シェア 「第5章 嘘の効用について」 子供は大人がやってはいけないと言うことだけをやるために、この世に生まれてきた存在である。 塩野七生 『男たちへ』(文春文庫,1993)43p 3 タグ
0 コメント数 シェア 「第5章 嘘の効用について」 女の人には誰にでも、本当のことを言うことはないのよ。女の人はみな、自分自身の本当の状態を知らないほどバカではないの。だから、わざわざ男のあなたが、本当のことをわからせてあげることはないのです。 塩野七生 『男たちへ』(文春文庫,1993)44p 3 タグ