1 コメント数 シェア 「第一部 フィレンツェで考える」 時代の区分とは、ある時点で線を引いて、ここまでは中世でこれより後は近代、と断定できるものではないのです。 塩野七生 『ルネサンスとは何であったのか』(新潮文庫,2008)66p 塩野七生 名言表示回数:1439回 人気:圏外(過去最高:31位) 歴史 (613) ルネサンスとは何であったのか (22) 区分け (1) ジャンル (1) 塩野七生 名言数 701 生 1937年7月7日日本の歴史作家(プロの学術研究者ではなく「小説家」)である。名前の「七生」は、7月7日生まれであることに由来。...-ウィキペディア 現在のアクセスランキングは15位。(過去最高は1位) Google検索 Googleで検索 語録を投稿 語録を画像から投稿 寄せられたコメント この考え方に賛成です。特に中世、近世、近代、現代という用語は、各国地域によってもその時代の考え方が異なります。ということは、近代を構成する何らかの要素・事象がそれを規定するためではないでしょうか?ですから、その要素・事象が続く限りにおいて、その時代は終わりえない。しかし、新たな事象が出てくるとまた新しい時代区分を称する言語が必要となってくるということではないかと考えられます。 - ジャラン 2012年08月10日 19時09分 コメントする ※みだりに秩序を乱すコメントを禁じます。
この考え方に賛成です。特に中世、近世、近代、現代という用語は、各国地域によってもその時代の考え方が異なります。ということは、近代を構成する何らかの要素・事象がそれを規定するためではないでしょうか?ですから、その要素・事象が続く限りにおいて、その時代は終わりえない。しかし、新たな事象が出てくるとまた新しい時代区分を称する言語が必要となってくるということではないかと考えられます。 - ジャラン 2012年08月10日 19時09分