ブレーズ・パスカル 83
1623年6月19日 - 1662年8月19日
フランスの哲学者、自然哲学者(近代的物理学の先駆)、思想家、数学者、キリスト教神学者である。
早熟の天才で、その才能は多分野に及んだ。ただし、短命であり、三十代で逝去している。死後『パンセ』として出版されることになる遺稿を自身の目標としていた書物にまとめることもかなわなかった。
「人間は考える葦である...-ウィキペディア
自我というものは、それ自体が不正なものだ。なぜならば、自我は自分が万物の中心だと思おうとするからだ。また、自我は、他人にとっても都合が悪いものだ。というのは、自我は他人を服従させただらないからだ
「バンセ」より
習慣は、それが習慣であるからこそ従われるべきで、
それが合理的であるとか、正しいと言うことから従われるべきではない。
「パンセ」より
さぞかし立派な方でしょう。
ただ彼は天才ですので、あなたとは視点が真逆です。
天才ってのは決断を自分的論理を通してから行動するんですよ。
天才は評価される一方孤立した人生を歩む義務を課せられるんです。 - あsd
習慣は第二の自然だといわれているが、
人は、自然が第一の習慣だということを知らない。
「パンセ」より
人間は偽装と虚偽と偽善にほかならない、自分自身においても、また他人に対しても。
「パンセ」より
賭事をしないという条件ならば、もらいたいと思わないものでも、
賭で得たならば愉しいだろうと想像することによって自分自身を欺くことが、
賭博には必要なのである。
「パンセ」より
すべて賭をする者は、不確実なものを得んがために確実なものを賭ける。
「パンセ」より
人は多くの場合、他人と異なるのみならず、
また、いろいろなときにおける自分自身と異なることが多い
「小品集ー幾何学の精神について」より
欠陥に満ちていることは、ひとつの悪であるが、欠陥に満ちていながら、
それを認めようとしないのは、より大きな悪である
「パンセ」より
いかなる身分でも、気晴らしができる限り幸福である。それは自分自身を考えることから心をそらしてくれる所の幸福である
「パンセ」より
いちばん小さい事物を軽蔑し、
いちばん大きい事物を信じない人間から何が得られようか
「パンセ」より
思考が人間の偉大さをなす
「パンセ」より
人間は一本の葦にすぎない。
自然のうちで最もひ弱い葦にすぎない。
しかし、それは考える葦である。
「パンセ」より
人間は考えるために生まれている。
ゆえに人間は、ひとときも考えないではいられない。
「恋愛の情念について」より
心にはさまざまな傾向がある。いかなる物事にも単一なものとしての心に映ることはない。・・・われわれが同一の物事に対して泣いたり、笑ったりするのも、そのためである
「パンセ」より
心情は理性の知らないところの、それ自身の道理を持っている
「パンセ」より
人間は互いにへつらうことばかりやっている。
人間同士の結びつきは、かかる相互の欺瞞の上に築かれる。
「パンセ」より
圧制は、自己の秩序を超えて全般を支配しようとするところに存する。
「パンセ」より
クレオパトラの鼻、それがもう少し低かったら大地の全表面は変わっていただろう
「パンセ」より
悲しみは知識である。多くを知るものは、怖ろしき真実を深く嘆かざるを得ない、
知識の木は生命の木ではないから
「パンセ」より
謙遜な議論も、高ぶった人たちには高慢の種となり、謙譲な人たちには謙遜の種となる
「パンセ」より
人からよく言われたいと思ったら、自己のよいところをあまり並び立てないことである
「パンセ」より
高慢は、われわれの悲惨や誤謬の真只中においても、
きわめて自然な仕方でわれわれを捉えている。われわれの人の語り草になるならば、喜んで生命までも棄てる
「パンセ」より
人は恋愛を語ることによって恋愛するようになる
「愛の情念について」より
人間相互の尊敬を結ぶ綱は、一般的に必要から生じたものである。というのは、すべての人間が支配者になりたがるが、みながそれになるわけにいかないから
そこの種々の階級が存在せねばならなくなる
「パンセ」より
誤った法律を改正する法律くらい誤ったものはない。
法律は正儀であるがゆえに従うといって服従しているものは、
自分の想像する正儀に服従しているのであって、
法律の本質に服従しているのはない。
「パンセ」より