デジデリウス・エラスムス 17

1466年10月27日 - 1536年7月12日
ネーデルラント出身の人文主義者、カトリック司祭、神学者、哲学者。ラテン語名には出身地をつける当時の慣習から「ロッテルダムのエラスムス」とも呼ばれる。なお、名前の「エラスムス」は洗礼名でカトリック教会の聖人フォルミアのエラスムス(Erasmus of Formiae...-ウィキペディア

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世間は欺かれることを欲す。

「痴愚神礼讃」より

幸運は大胆に味方する

「痴愚神礼讃」より

恐怖のあるところに恥辱がある

「痴愚神礼讃」より

節約はかなりの収入なり

「痴愚神礼讃」より

隠れたる才能は名は売らぬ

「痴愚神礼讃」より

値打ちがなければないほど自惚れが強く、かつ横柄であり、いよいよ尊大ぶり、ますます気取る。
だが、大半の人間が痴愚心の奴隷であり、どうしても、一番悪いものが、一番多くの人々のお気に入りになってしまう

「痴愚神礼讃」より
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自惚れ心には追従という妹がいて、よく似ている。これは己ではなく、他をだますことにある

「痴愚神礼讃」より

喧嘩せずに暮らしていけるのは独身の男である

「アダギア」より

幼年のませたる賢さは、あさましき哉

「痴愚神礼讃」より

汝を罵倒したり、打ちのめす人間が汝を虐待するにあらず
それを恥辱と考える汝の考えが、然らしめることを知る

「痴愚神礼讃」より

人生に執着する理由がなければないほど、人生にしがみつく

「痴愚神礼讃」より
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予防は治療にまさる。

「痴愚神礼讃」より

求められる前に忠告をするな。

「痴愚神礼讃」より

人の心は、真実よりも虚偽のほうにより感化されやすくできている

第1章◆愛を語らずして性を語るべからず
女神の言葉

神さまや人間は、どこから生まれるのでしょうか。
顔や乳房からでしょうか、それとも手とか耳とかお上品な器官からでしょうか。
いいえ違いますわよね。
笑わずには、その名も言えないような、
ほんとうに気でも狂いそうな、馬鹿らしい、別な器官からですわ

デジデリウス・エラスムス『痴愚神礼讃』
福田和彦『痛快!性愛学』(amazon.co.jp)(集英社インターナショナル,2001)P10

喧嘩せずに暮らしていけるのは独身の男である

男の格言

戦争は獣のためにこそあれ、人間のためにはない、実に凶悪なものです。戦争は詩人たちの空想によれば、地獄の醜女たちから届けられた狂乱錯乱で、それの通るあらゆるところで平常の生活を破壊してしまうペスト……、キリストとは何の関係もない不敬行為なのです。しかるに法王さまがたは一切を無視して戦争をその主な仕事にしていらっしゃる。……戦争のためとあらば、若々しい情熱を注ぎこみ、金銭を投げ出し、疲労をものともせず、何ものの前にも後ずさりせずに、法律、宗教、平和、人類全体をメチャクチャにしておしまいになります。

『一日一言』(桑原武夫編 岩波新書)115頁