アルトゥル・ショーペンハウアー 91
1788年2月22日 - 1860年9月21日
ドイツの哲学者。主著は『意志と表象としての世界』(Die Welt als Wille und Vorstellung 1819年)。
仏教精神そのものといえる思想と、インド哲学の精髄を明晰に語り尽くした思想家であり、その哲学は多くの哲学者...-ウィキペディア
一夫多妻制の是非に関しては、議論する必要などは全くない。
これは、いたるところに存在する事実として考えるべきである。
問題は、これをいかに調整するかということである。
女性の性格には、根本的欠陥として、
『不正』ということが見出される。
この欠陥は、理性的な判断や熟慮の乏しさに伴って生ずる。
女性の狡猾さは、本能的といってもよく、
その嘘つきの傾向を全然なくしてしまうことは出来ない。
法における偽証を、女は、男よりもはるかに度重ねて犯している。
いったい、婦人の証言を認めるべきかどうかということが
そもそも問題ではあるまいか。
何の不自由もない婦人が、商店で万引きする実例は、
いたるところでしばしば繰り返されているのである。
個々の部分的な除外例によって変更されはしない全体について考えると、
女たちは、最も徹底した、しかも最も度しがたい俗物であり、
また、いつまでも俗物としてとどまる。
だから、妻が夫の身分と称号とを共有するという
きわめて不合理な社会機構において、
妻は夫の卑しい名誉欲に不断の刺激を与える。
そのうえ、女たちがこのような特質をそなえているために、
女たちの采配を振ったり音頭をとったりすることが、
現代社会の腐敗を醸すのである。
『女について』
自然が人類を二つに分けたとき、
これを真二つに等分したのではなかった。
すべて両極に分かれているものにおいて、陽極と陰極との相違は、
単に質的のみならず、同時に量的なものがある。
――古代ギリシア・ローマの人々および東洋の諸民族は、まさしく、
そのような女性観を持っていたから、従って、彼らは、
女たちに適当する地位を、
私たち現代のヨーロッパ人よりもはるかに正当に認識していたのである。
これにひきかえ、私たちは、このキリスト教……
ゲルマン的愚昧の最上の精華である古代フランス風の慇懃と、
馬鹿げきった女人崇拝とを持っているのだ。
しかも、このことは、ただ、往々にして、
ベナレスにおける神聖な猿どもを想起させるほどに、
女たちを横柄かつ無遠慮にするのに役立っているばかりである。
それらの猿どもは、
自分たちが神聖視され、かつ殺生禁断になっているのを知って、
自分たちの欲することは全てことごとくが許容されるものと
考えているのだ――
『女について』
「大切なのは普通の語で非凡なことを言うことである。」
「真理はむきだしのままが最も美しい。表現が簡潔であればあるほど、深い感動を与える。そうすれば、
聞き手は雑念に惑わされずに、スッと真理を受け取ることができる。」
~ショーペンハウアー~
Simple is Best
混乱は人間の知性の中にだけ在り
汝、知の限界を知れ ~老子~ - 銘無き石碑