0 コメント数 シェア 「貧しかったが尊敬されていたこの国」 人間は軽蔑されると、どんなにいいものを食べてても、うれしくないんですね。 塩野七生 五木寛之『おとな二人の午後』(角川書店,2003)343p 3 タグ
0 コメント数 シェア 「「スペンデレベーネ」したあとの静かな死」 文化っていうのは金は儲からないものであると。五木:文化は使うだけだね。だから、堂々と使うべきなの。 塩野七生 五木寛之『おとな二人の午後』(角川書店,2003)356p 6 タグ
0 コメント数 シェア 「「スペンデレベーネ」したあとの静かな死」 マイナス要因かもしれないものをプラス要因に変えていくのが芸術家なんです。 塩野七生 五木寛之『おとな二人の午後』(角川書店,2003)357p 4 タグ
0 コメント数 シェア 「「スペンデレベーネ」したあとの静かな死」 外交だって、日本はディプロマシーを外交って訳してるのがまちがいで、外政って訳すべきですね。発想を転換すべきだと思う。 塩野七生 五木寛之『おとな二人の午後』(角川書店,2003)360p 5 タグ
0 コメント数 シェア 大カトーについて こんな男を亭主にもったら、毎日が息がつまるような生活ではないかと思う。また、隣り近所にいられるだけでも、神経が休まらないにちがいない。友人としても、いやはやなんとも、敬遠の関係ぶらいにしておいたほうが無難である。 塩野七生『男の肖像』(文藝春秋,1992)35p 3 タグ
0 コメント数 シェア ユリウス・カエサルナナミーの空想として、カエサルに言わせた言葉 エジプトの女王クレオパトラ殿、あなたは男の頭と女の肉体を兼ねそなえた、たぐいまれなる創造物です。 塩野七生『男の肖像』(文藝春秋,1992)50p 8 タグ
0 コメント数 シェア ユリウス・カエサルナナミーの空想として、カエサルに言わせた言葉 大事業とは、嫌いな人間とも、ともに行わねばならないものだよ。 塩野七生『男の肖像』(文藝春秋,1992)57p 6 タグ
0 コメント数 シェア 人間は、予想もしなかった悲劇に見まわれると、無我夢中で反撃するものである。無我夢中でとびかかっていくうちに、凡才も天才に一変している。 塩野七生『男の肖像』(文藝春秋,1992)81p 2 タグ
0 コメント数 シェア カリスマ性とはなんであろう。私には、それが、愛情と言い換えてもよい、官能的なまでの感情であるような気がしてならない。ひっきょう、男の集団を動かす原動力は、官能的なまでの、この不合理によるのではないだろうか。これが、女だけの集団が力をもちえない原因につながる。 塩野七生『男の肖像』(文藝春秋,1992)82p 7 タグ
0 コメント数 シェア 芸術家は、すべてを超越するからこそ、存在理由があるのである。芸術家にとっての権力者は、自分の考えを実現するに自分一人では不可能な場合、それに手を貸してくれる存在にすぎない。芸術家は、善悪の彼岸にしかない自己の世界での絶対の優位を確信しているから、権力者の前に平然とひざを屈するのである。 塩野七生『男の肖像』(文藝春秋,1992)93p 8 タグ
0 コメント数 シェア 男には、その生涯にどれほどの仕事をしたかによって存在理由を獲得する型の人物がいる。また別に、彼が存在すること自体に意味があり、それがその男の存在理由の最たるものになっている型の人物がいる。 塩野七生『男の肖像』(文藝春秋,1992)100p 4 タグ
0 コメント数 シェア ナポレオンは、そういう現実を知っていただろう 同等な能力をもつ者の中での相対的な優秀者として振舞うよりも、劣等者に君臨する優秀者として振舞うほうが得策である 塩野七生『男の肖像』(文藝春秋,1992)118p 3 タグ
0 コメント数 シェア ナナミーは、ナポレオンという男に対して興味がもてない 家族親族に囲まれた男は、戦う家長ではなるかもしれないが、男の匂いを失うことを宿命づけられる。家族の写真を見せてはその話に熱中する男に似て、そこには、責任感あふれる申し分ない家長はいても、女の血を騒がせる、セクシーな男はいないからである。 塩野七生『男の肖像』(文藝春秋,1992)120p 7 タグ
0 コメント数 シェア コシモ・デ・メディチ 学問や芸術というものは、ほんとうのところ、あたりでとどまるからこそ、その人の一生を越えて生きつづけられるものではないだろうか。 塩野七生『男の肖像』(文藝春秋,1992)158p 5 タグ
0 コメント数 シェア サロメの乳母の話ヨハネ 世の中を改めようとする時の、わたしのような知識人階級に属す者の役割は、真の力を持って後から来る、下層の人々のために道を整えることしかないのであろう。これが、われわれの宿命かもしれません 塩野七生『サロメの乳母の話』(新潮社,2003)37p 2 タグ
0 コメント数 シェア サロメの乳母の話ヨハネ 善意に満ちていて、しかも行いの清らかな人が、過激な世改めを考え説くほど危険なことはないと思う 塩野七生『サロメの乳母の話』(新潮社,2003)38p 2 タグ