ヴィクトル・ユーゴー 136

1802年2月26日 - 1885年5月22日
ヴィクトル=マリー・ユーゴー(仏: Victor, Marie Hugo、1802年2月26日 - 1885年5月22日)はフランス・ロマン主義の詩人、小説家。七月王政時代からフランス第二共和政時代の政治家。 1959年から1965年まで発行されていた5フラン紙幣に肖像画が採用されていた。 「ユーゴー」と「ユゴー」が併用されているが、ここでは「ユーゴー」を採用する。...-ウィキペディア

海よりも雄大な光景がある。それは天だ。
天よりも雄大な光景がある。それは良心だ。

「レ・ミゼラブル」より

幸福だけな幸福は、パンのばかりようなものだ。

幸福には、パンのような主食の大きな幸せや、おかずのような小さな幸せがあり、パンばかし食べるのではなく、何でもバランスよく摂れば飽きることはない。このように大きな幸せや小さな幸せのバランスがいいと、幸せに飽きることがなくいろいろなことがあり、豊かな人生をおくれる

おうふくだけの

大きな悲しみには勇気を持って立ち向かい、
小さな悲しみには忍耐を持って立ち向かえ。

ある種の思考は祈りである。身体のほうがどんな態度を示そうと、
魂のほうはひざまづいている場合がある。

時間の整然とした使い方は、その人の仕事を
すべて貫き通す一条の光のようなものである。

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計画もなく、時間の使い方がただ成り行き任せにされていると、
たちまち混乱と無秩序の支配するところになる。

人間は鎖をひきずってあるくためにではなく、
翼をひろげて天翔るためにつくられているのです。

『九十三年』(下)辻昶訳 岩波文庫版184頁)

海よりも広いものがある。それは空だ。
空よりも広いものがある。それは人の心だ。

夢、これ以外に将来を作りだすものはない。

愛しすぎるということがないのと同様に、
祈りすぎるということはない

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労働は生命なり、思想なり、光明なり。

不幸に陥らない秘訣は、人を愛して、働くことだ


    ユーゴーさんは凄いね。 - ご機嫌なまゆひぃーゆ

    ユーゴーさんは凄いね。 - ご機嫌なまゆひぃーゆ

人の心眼は人間のうちにおいて最も多く光輝と暗黒とを見いだす。
またこれ以上恐るべき、複雑な、神秘な、無限なものは、
何も見ることができない。
海洋よりも壮大なる光景、それは天空である。
天空よりも壮大なる光景、それは実に人の魂の内奥である。

『レ・ミゼラブル』(豊島与志雄訳)
岩波文庫版383頁

海、それは刑罰がそれを受けたる者を投ずる社会的の酷薄なる夜である。
海、それは際涯なき悲惨である。
人の魂は、この深淵のうちに流れ込むとき死屍となる。

『レ・ミゼラブル』(豊島与志雄訳)
岩波文庫版178頁

進歩の激烈なるを革命と呼ぶ。
革命が過ぎ去る時に人は認むる、
人類は酷遇されたと、
しかも人類は進歩したと。

『レ・ミゼラブル』(豊島与志雄訳)
岩波文庫版93頁

正義にはその憤怒があるものです、そして、正義の憤怒は進歩の一要素です。

『レ・ミゼラブル』(豊島与志雄訳)
岩波文庫版87頁

人間は一つの暴君を持っているというのです。
すなわち無知を指すのです。
私はその暴君の終滅に賛成しました。
その暴君は王位を生んだ。
王位は虚偽のうちに得られた権力です。
しかるに学問は真実のうちに取られた権力です。
人はただ学問によって支配さるべきです。

『レ・ミゼラブル』(豊島与志雄訳)
岩波文庫版85~86頁

人間の精神は三つの鍵によって開かれる。
それは数と文字と楽譜である。
知識と思考と夢の全てがここにある。

正直な政治家などというものが、かつてこの世に存在したことがあるだろうか。

はげしい言葉は理由の薄弱さを物語るものである。

恋愛とはその二人が一体となることであり、
一人の男と一人の女とが一人の天使となって融け合うことである。
それは天国である。


    そうだね。 - 銘無き石碑

    天国に出逢えたから、魑魅魍魎の憂世を歩き続けることができています。 - 銘無き石碑

女が尊敬されるには、母親らしくなければならないらしいからだ。
彼女が美しかったことは一度もない。

レ・ミゼラブル

人は肉体を見張り、抑制し、抑圧しなければならない。
そしてそれに服従するのは、ぎりぎりの場合でなければならない。

聖者になることは、例外である。
正しい人になるのが、普通である。