夏目漱石

‥‥‥他人本位を解体し自己本位に立ち戻ること。
そうすれば人を促進し、ついに更紗の世界へと人を帰属させる。

坂口曜子『躓きとしての文学―漱石「明暗」論』(河出書房新社,1989) P134

インデペンデントとはたんなる世間との隔離ではなく、
己と自然・宇宙のリズムを回復することであり、全体性を失わぬことであった

高橋康雄「風景の倒立もしくは心的現象―漱石の『坑夫』他にみる不可視を見る「眼」―」(札幌大学総合論叢)P50
高橋康雄 1

1940年10月2日-2000年7月4日 評論家、俳人。

人間のかかわりの底には常に金銭の問題が横たわる。

AERA Mook 41『「漱石」がわかる。』(朝日新聞社,1998)P160
九尾実子 1

1968年生まれ。成城大学大学院文学研究科在学中。

脳病や神経衰弱は、子宮の病とみなされたヒステリーと、いわば対照的に用いられた。
前者は〝男の病〟として、後者は〝女の病〟としてである。

AERA Mook 41『「漱石」がわかる。』(朝日新聞社,1998)P92
川村邦光 1

1950年生まれ。大阪大学文学部教授。

恐れない女は、男たちのように死なない。どこまでもしたたかに生き続ける。

AERA Mook 41『「漱石」がわかる。』(朝日新聞社,1998)P71
押野武志 2

1965年生まれ。広島文教女子大学専任講師。

覚醒した女は昔のように男に仕えなくなるだろうし、
男は昔のように女を弄ぶことができなくなるだろう。

AERA Mook 41『「漱石」がわかる。』(朝日新聞社,1998)P66
佐藤泉 3

1963年生まれ。青山学院短期大学国文学科専任講師。

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「恋愛」が「野合」でないポジティブな観念となるときに、
見合い結婚に代表される当事者相互の意志によらない結婚は
「寂寞荒涼たる愛のない結婚」といったイメージで再定義されることになるだろう。

AERA Mook 41『「漱石」がわかる。』(朝日新聞社,1998)P65
佐藤泉 3

1963年生まれ。青山学院短期大学国文学科専任講師。

対象について「わかる」ということは、
それを読んでいる自分自身について「わかる」ことから始まっていくのである。

AERA Mook 41『「漱石」がわかる。』(朝日新聞社,1998)P51
村瀬士朗 1

1958年生まれ。鹿児島経済大学助教授。

飼われてみると人間ほど身勝手な生き物はない。

AERA Mook 41『「漱石」がわかる。』(朝日新聞社,1998)P32
中島国彦 1

1946年生まれ。早稲田大学文学部教授。

漱石を読むための安全地帯は存在しない。
それは、転落する危険と隣り合わせの場所にしかない。

AERA Mook 41『「漱石」がわかる。』(朝日新聞社,1998)P27
小谷野敦 2

1962年生まれ。大阪大学言語文化部助教授。

フェミニズムに理解を示す男たちは、まだ他人ごとだと思って書いている。
だが、いずれ、彼らは、
自分たちの男としての実存を根深いところで脅かされることになるだろう。

AERA Mook 41『「漱石」がわかる。』(朝日新聞社,1998)P26
小谷野敦 2

1962年生まれ。大阪大学言語文化部助教授。

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わたくしたちは、
しらずしらずのうちに窮屈な先入観のもとで、分かったつもりできめつけているが、
根底から問いなおさねばならぬことが少なくない。

AERA Mook 41『「漱石」がわかる。』(朝日新聞社,1998)P19
竹盛天雄 1

1928年生まれ。早稲田大学文学部教授。

どんな問題についても読み手が誠実な問いをもって迫れば、
どこかできっと誠実な答えに突き当たる。それが漱石の文学だとわたしは言いたい。
ただしそのためには、読み手の側の努力や体験の積み重ねもむろん必要なのだが――。

AERA Mook 41『「漱石」がわかる。』(朝日新聞社,1998)P15
重松泰雄 1

1923年生まれ。九州大学名誉教授。

同じマンガを作者や出版社は商品としてつくるが、
同時に作者は表現として描いている。
読者はマンガを商品として買うが、表現として読んでいる

AERA Mook 24『コミック学のみかた。』(朝日新聞社,1997)P87
夏目房之介 2

1950年8月18日生まれ。日本の漫画批評家、漫画家、エッセイスト。

マンガが描線によって描かれ、コマによって仕切られるものである以上、
それを具体的に語れなければ批評したことにならない。

AERA Mook 24『コミック学のみかた。』(朝日新聞社,1997)P87
夏目房之介 2

1950年8月18日生まれ。日本の漫画批評家、漫画家、エッセイスト。

妾(わたし)なんか丁度 親の手で植え付けられた鉢植のやうなもので
一遍植られたが最後、誰か来て動かして呉れない以上、とても動けやしません

夏目漱石『彼岸過迄』より。
1

一郎の妻。

金に生きるは下品にすぎる
恋に生きるは切なすぎる
出世に生きるはくたびれる
とかくこの世は一天地六

必殺シリーズ 4

日本の時代劇シリーズ。 テレビ番組をはじめ、映画や舞台も存在する。