人物一覧

乃木希典 名言数 2

1849年11月11日 - 1912年9月13日
日本の武士(長府藩士)、軍人、教育者。日露戦争における旅順攻囲戦の指揮や、明治天皇の後を慕って殉死したことで国際的にも著名である。 階級は陸軍大将。栄典は贈正二位勲一等功一級伯爵。第10代学習院院長に任じられ、迪宮裕仁親王(昭和天皇)の教育係も務めた。「乃木大将」や「乃木将軍」と呼ばれることも多く...-ウィキペディア

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一時に怯懦の心を発作して終身の恥辱を帯ぶる勿れ

「訓示」より

勉強忍耐は才力智徳の種子なり

「日記」より
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二宮尊徳 名言数 4

江戸時代後期の経世家、農政家、思想家である。自筆文書では金治郎(きんじろう)と署名している例が多いが、一般には「金次郎」と表記されることが多い。また、諱の「尊徳」は正確には「たかのり」と読むが、「そんとく」という読みで定着している。 経世済民を目指して報徳思想を唱え、報徳仕法と呼ばれる農村復興政策を指導した。-ウィキペディア

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すべての商売は、売りて喜び、買いて喜ぶようにすべし。売りて喜び買いて喜ばざるは道にあらず。貸借の道も、また貸して喜び、借りて喜ばざるは道にあらず。

枯木にいくら肥料をやっても生き返ることはない。
怠け者はその怠け心のために枯木のように滅びてしまう。だから情をかけると生き返るどころか益々滅んでしまう。
怠け者に情をかけるのは一見「仁」のように見えるが、本当は仁ではない。
怠け者に情をかける前に仕事に精を出させ、善行を行うように心を改めさせてから情をかけるべきである。そうすれば若い木が成長するように立ち直る。
何度教えても改心しない者は滅びるしかないのであって援助する必要はない。

道徳なき経済は犯罪であり
経済なき道徳は寝言である

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徳川家康 名言数 14

1542年12月26日 - 1616年4月17日
戦国時代から安土桃山時代にかけての武将・戦国大名。江戸幕府の初代征夷大将軍。三英傑の一人。「海道一の弓取り」の異名を持つ。 家系は三河国の国人土豪・松平氏。幼名は竹千代。通称は次郎三郎のちに蔵人佐。諱は今川義元に偏諱をもらい元信(もとのぶ)次いで元康と名乗るが今川氏から独立した後に今川家からの独立を明示するため...-ウィキペディア

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不自由で普通と思えば不満なし。
ものが足りない時は貧乏だった頃を思い出せ。

古文馬鹿訳

大黒天が深く頭巾を被って常に上を見ないのは、
一朝事ある時にその頭巾を脱いで上を見るためであり、
そこに大黒天の極意がある。頭巾ばかり注意して、
それを脱ぐ時のことを知らないのでは駄目である

強敵がいなくなれば こちらの力も弱くなる

内村鑑三 名言数 17

1968年3月23日 - 1930年3月28日
日本のキリスト教思想家・文学者・伝道者・聖書学者。福音主義信仰と時事社会批判に基づく日本独自のいわゆる無教会主義を唱えた。「代表的日本人」の著者でもある。...-ウィキペディア

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「地理学は吾人の深き注意と研究を要するもの」としてその理由を六点にわたり述べている。

第一に、「地理学は諸学の基なり」
第二に、地理は殖産に不可欠であり
第三に、地理学を学ばずして政治を談ずるなかれ
第四に、地理の美術文学における慈母の其子におけるの関係なり
第五に、誰か云う宗教に地理学の要なしと、
誰か宗教歴史を読んで地理学の無用を認めしものぞある
第六に、地理学によって吾人は健全なる世界観念を涵養すべきなり

『地人論』第一章「地理学研究の目的」

眼を自国の外に注がざるものにして、よく宇宙を包括する観念の起こるべき理なし

『地人論』第一章「地理学研究の目的」
周遊:間違い

人に謙遜、寛裕、博愛の念を喚趣せしむるの最上策は、
彼をして世界を周遊せしむるにあり、
しこうして之に次ぐの策は彼をして世界地理を知らしむるにあり

『地人論』第一章「地理学研究の目的」

杜甫 名言数 6

712年 - 770年
中国盛唐の詩人。字は子美。号は少陵野老、別号は杜陵野老、または杜陵布衣。「杜少陵」「杜工部」とも呼ばれる。律詩の表現を大成させた。幼少の頃から詩文の才能があり、李白と並ぶ中国文学史上最高の詩人として、李白の「詩仙」に対して、「詩聖」と呼ばれている。また晩唐期の詩人…-ウィキペディア

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孔丘盗跖倶ともに塵埃

「詩」より

棺を蓋いて事定まる

明日には富児の門をたたき、暮には肥馬の散りに随う。