人物一覧

鮎川義介 名言数 2

1880年生まれ。日産コンツェルンの創始者。

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事業開始の機に乗じて詐欺師が現れることは
その事業がほんものだということを証明する

日産の満洲国移駐について。
昭和十七年十二月に新京(大連)のヤマトホテルでの会食にて武藤富男に語った言葉。
武藤富男著「私と満洲国」より

一年早く満洲重工業株式会社を創立していたならば
僕は時代に先駆けることができた。
もし僕がアメリカの資本と技術と機械とを
満洲国に導入することに成功していたならば
日本は、その鉾先をソ連に向け、アメリカとの提携を成立させ
独伊との枢軸関係を結ばずにいて
アメリカは満洲国を外面はともかく実質的に承認し
それによって支那事変も起こらず
世界の情勢は別の進路をたどったかもしれなかった。

満洲重工業株式会社とは、満洲国に埋蔵する地下資源を担保にして
米国資本からの融資を受け、米国製の大型の工業機械を大規模に導入し
満洲国において高度成長を成し遂げる、という
彼が提唱した国家事業のための会社だった。
日本国内の反発はあったものの首脳部の支持を取り付けて実現された。
米国経済界の反応は好意的であった。
しかし、パネー号事件などで、米国との関係がその後急速に悪化したために当初の計画は頓挫した。
満洲重工業株式会社の総裁を辞任した直後、ヤマトホテルにて武藤富男に語った内容。

武藤富男 名言数 3

1904年2月20日 - 1998年2月7日
日本および満洲国の司法官僚。キリスト教の牧師。

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満洲国は、決して日本が作った国家ではなく
関東軍と日本陸軍が現地政治家と協力して作った国家であると思っていた。
そして将来はイギリスからアメリカが独立したように
満洲国は民族協和の完全な独立国にならねばならぬという思いを
ひそかに抱いていた。

「私と満洲国」より

国滅びて山河あり
侵略終わって発電ダムなお存続す

朝鮮統治にも満洲建国にも、責むべきものは多々ある。
この侵略という罪悪に日本国民を引き込んだ為政者には
糾弾すべきものが多々あるであろうが、これに追随した国民が
いわゆる侵略の中にあって、残した多くの良きもののあることを、現代人は忘れてはなるまい。
鴨緑江水力発電はその一例である。
それは北鮮と中国東北の人々に光と熱を昔ながらに供給しているであろう。

人の意思の強固さは、その口に現れる

年が進めば、眼光は弱まるが、強い意思をもって難局を克服してきた者は
その相貌の一部をなす口唇に力量が集約して示される
「私と満洲国」より
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カート・ヴォネガット・ジュニア 名言数 6

1922年11月11日 - 2007年4月11日
アメリカの作家。シニカルな作風で知られる。

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この値段なら
馬に食べさせてから
バラの肥やしにしても惜しくない

ある夏の終わりの麦わら帽子のバーゲンセールの広告コピーとして。
「チャンピオンたちの朝食」より

食い物ってのは、ただ食うだけじゃつまらない。
そのことでいろいろしゃべるのが楽しいんだ。
その手の食い物のことをよく知っている相手とね。

「食い物がまずいのかね?」
「いや、うまいさ。ただ、いろいろしゃべりたくなるような食い物じゃない」
「フム」
「食い物ってのは、ただ食うだけじゃつまらない」と彼はいった。
「そのことでいろいろしゃべるのが楽しいんだ。その手の食い物のことをよく知っている相手とね。
「ジェイルバード」より

パティ・キーンはわざと頭を鈍くしていたが
これはミッドランド・シティのたいていの女にあてはまることだった。
女は大きな動物だから大きな脳を持っているが
つぎのような理由であまりそれを使おうとしない。
人並みはずれた考えは敵を作るおそれがあり
女は、もしいくらかでも安全と心の慰めを求めるなら
ありったけの友人が必要だからである。
そこで、生存のために、彼女たちは自分自身を訓練して
思考機械ではなく同意機械になろうとする。
彼女たちの頭がする仕事は、他人がなにを考えているかを発見し
それから自分もそれを考えるだけになる。

「チャンピオンたちの朝食」より
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時の立札 名言数 5

写真週報に連載されていた、国民を激励する文章。 「『時の立札』は他へ転載その他に御利用下さい」とあり、当時から自由に利用することができた。

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荒鷲たちは
凛烈たる高空の寒気をついて
今日も爆撃行の操縦棹を握り
かじかんだ手に索敵行の電鍵をうつ
炭とぼしくとも
ストーヴ スチームはなくとも
何のこれしき──
われらまた赤々と戦意を燃やし
工具を、ペンを、鍬をしっかと握って
身に迫る決戦の冬のきびしさを
ガッと全身で受止めよう

写真週報 第302号 昭和18年12月22日より

闇や買出しで自分たちだけ
豊かに食べたがる人たちに
日本の有難さ、良さが、味わえるだろうか
凍土に立ち、湿田に入り、汗と泥土にまみれて
食糧増産を続ける農村の現実を
食事のたびにしみじみと味わってみることだ
食物のことは、それからの話にしよう

写真週報 第302号 昭和19年1月12日より

この手で造った飛行機が
この眼で送った荒鷲が
あの驚天の戦果をあげたのだ
われらは
戦場をにらんでまっしぐらに
飛行機を造るのだ
あの荒鷲に続くのだ

写真週報 第299号 昭和18年11月24日より

竹内靖雄 名言数 6

1935年 - 2011年8月23日
日本の経済学者。専門は経済思想史、経済倫理学。成蹊大学経済学部専任講師、助教授、教授を経て成蹊大学名誉教授。 高知県生まれ。東京大学経済学部卒業、同大学大学院経済学研究科博士課程修了(経済学博士)。 代表的な著書に『正義と嫉妬の経済学』(第1回山本七平賞受賞)、『市場の経済思想』(東京海上各務記念財団最優秀図書賞受賞...-ウィキペディア

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人間も動物も利己心をむきだしにして競争する姿が当たり前であって、
反対に、利己心を隠し、社会は利他心で成り立つべきだといいながら、
他人から利益を得るやり方を全員に強制する社会主義は、
人間でけに見られる不自然な生き方なのである。

「日本の終わり」より

一人旅、あるいは家族で旅行するのが個人主義のスタイルなら、
団体旅行や修学旅行は社会主義のスタイルである。

「日本の終わり」より

現実主義者の官は保守派とは違ってイデオロギーをもたないので、
豹変するときは見事に豹変する。このように豹変する人はまだしも信用できる。

「日本の終わり」より

ジョン・ダワー 名言数 1

米国の歴史学者である。専攻は、日本近代史。 ネブラスカ大学講師、ウィスコンシン大学助教授・準教授・教授、カリフォルニア大学教授で教鞭をとり、現在、マサチューセッツ工科大学教授。

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日本が戦前に言っていたことは、
アメリカが今言っていることと同じである。

ジョン・ダワーが、或る講演会で・・