人物一覧

高野悦子 名言数 1

(1949~1969)学生運動家。『二十歳の原点』著者。立命館大学3回生時、闘争に悩み抜き迷い抜いた末鉄道自殺を遂げる。『二十歳の原点』は残された日記を父がまとめたものである。著書は他に『二十歳の原点序章』『二十歳の原点ノート』がある。すばらしい詩の才能を示している。彼女ほど真剣に、真摯に人生に向き合った人を他に知らない。

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人間が己れの手と足で立とうと決意したとき、今まで己れの存在を形づくってきたものが、いかに弱い基盤の上に立っていたかを知る。彼はおのれの足を作りながら歩かねばならないのだ。それは、まさに血みどろの闘いである。しかし、そのとき初めて彼は己れの足を、手を、己れ自身をもつことができるのだ。

人生とは「おのれの足を作りながら歩く」こと。苦しくて当たり前。「血みどろ」になって当たり前。それを避けていたら「人間」にはなれない。
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秋山真之 名言数 3

大日本帝国海軍(明治期)の海軍中将。 幼名は淳五郎。 明治元年(1868)秋山好古の弟として松山市に生まれた。 妻はすゑ。子は4男2女。前・衆議院議員大石尚子は真之の孫。正岡子規とは小学校からの親友。 明治23年、海軍兵学校を首席で卒業、日露戦争では名参謀として日本を勝利に導いたことが有名。 明治28年、兵学校時代の友人山路一善、勝田主計らと郷土青少年の錬成道場として松山同郷会を創り、現在財団法人常磐同郷会として いまに引き継がれている。 大正7年51歳で没した。東京青山墓地に眠る。

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天気晴朗なれども波高し

日本海海戦の時の連合艦隊の旗艦、三笠から東京にある司令部宛に出した電報の一文。

経験は牡蠣の貝殻のように人の動きを鈍らせる

金の経済を知る人は多し、時の経済を知る人は稀(まれ)なり。

手記『天剣漫録』より

神に言っとけ。
「ほっとけ」てな。

復讐・・・、戦・・・、理由は何でもよかったのかもしれない。ただひとつ確かなものは、俺の中にある何かドス黒いもの・・・、ただそれだけが、俺の足を支えている。前へ進めと、せき立てられる

逃げ出した先に楽園なんてありゃしねえのさ
辿り着いた先、そこにあるのはやっぱり戦場だけだ
帰れ、ここはオレの戦場だ。 行け、お前はお前の戦場に・・・

ベルセルク 単行本16巻 断罪編 ロストチルドレンの章 「青空の妖精」より抜粋
人智の及ばぬ、人間としての自分が決して打ち勝つことの出来ない存在に
たった一人抗う存在であるガッツ。常に激しい憎悪に身を焦がし、
”ソレ”と同質に近づくことを戦いの糧とする。
決して自分には敵わぬ存在に立ち向かうこと、自分が憎悪に染まりきってしまうことへの葛藤、
それらはある意味で自分自身との戦いでもある。
そんな戦いを続けてきたガッツが劣悪な家庭環境、現実に絶望した少女に語りかけた、
唯一の心からの言葉である。
戦うことを決してやめてはいけない、と奮い立つ名言である。